双極II型障害と生きる いつも上を見上げて 

うつ→双極II型障害と闘いながら社会人やってます。時々ズッコケますが何とかやってます。この病気を一人でも多くの人に知ってもらいたいです。

「はいからさんが通る」の時代 大正

はいからさんが通る」というのは大和和紀のコミック。時は大正。剣道では向かう所敵なしの男勝りだが酒を飲むと酒乱の主人公、花村紅緒がひょんなことから許嫁にされてしまった日本陸軍少尉、伊集院忍とのあいだに引き起こされるラブコメディーものである。

前回明治時代の末期について記事を書いたが、今日はそのシリーズの三回目、といったところだ。なぜ「はいからさんが通る」を引き合いに出したかというと、この漫画が実に「大正時代」という時代の背景を偏り無く忠実に表しているからだ。

大正時代

1912年に「大帝」と言われ国民からの尊敬を集めた明治天皇崩御。その後をついで大正天皇が即位する。ここに大正時代がはじまった。

明治時代に列強からの植民地になる寸前だった国家を「世界史上の奇跡」と言われる明治維新を成功させた日本は「世界の五大国」に名前を連ねるまでに発展した。

文明の普及

大正時代は特に文明が庶民にまで普及した時代である。特に電灯の普及率は世界一位となり、それまでは上流社会でしか購入できなかった自転車がこの時代になると庶民にも手が届く金額となった。(1台あたり今の金額で6万円ぐらい?明治時代のアメリカ製の自転車は1台400万円!)たしか、「はいからさんが通る」でも紅緒が乗っていたと記憶している。もっともいまの自転車よりかなり重かったが・・・。

また公共の交通手段ではあったが自動車も珍しくなくなった。もっとも「公共タクシー」や「乗合自動車」であって「自家用車」はかなりの上流階級でないとなかったらしい。

またレコードが国内で制作されるようになり、同じく大正時代に多く広まった「カフェ」などで蓄音機が置かれ庶民が気軽に音楽を聞けるようになった。

また、ダンスホールミルクホールなども普及した。「はいからさんが通る」でも紅緒がミルクホール(マンガでは「ミルクホウル」となっている。)に立ち寄るシーンが良く見られる。

スポーツの普及

スポーツも普及した。今の甲子園球場神宮外苑野球場が建設され、高校野球東京六大学野球の開始もこの頃である。

マスコミの発達

大衆向けの新聞の発行も始まり朝日新聞毎日新聞、読売新聞などが創刊を開始した。

ラジオ放送が始まったのもこの時代である。大正14年の3月22日にNHKが放送を開始。第一声は「こんにち、ただいまより放送を開始いたします。」であった。

女性のファッション

女性のファッションでは袴姿だけでなく洋服も広がり(「はいからさんが通る」での紅緒は袴姿だったが。)、髪型をショートカットにする女性も出てきた。「はいからさんが通る」でも紅緒が途中からショートカットにしている。また美容室が大衆化したのもこの時代である。

また女性の髪型でパーマが始まった。(「はいからさんが通る」の紅緒の幼馴染の蘭丸が紅緒が花嫁修業に行った伊集院家にパーマをかけて変装して忍び込むシーンが有る。)

また男性の間でも洋服が当たり前となったことと合わせ、「モダンボーイ(モボ)」、「モダンガール(モガ)」という言葉が流行った。

このような現代へと通じる風俗の変化が起きて、それらは「ハイカラ」という言葉で言われるようになった。

(注:「ハイカラ」という言葉がうまれたのは明治後期であるが大衆化したのは大正時代である。)

女性の立場

しかし女性の立場はまだまだ低かった。結婚は「家と家」の婚姻であり個人同士のものではなく、また女性の方から婚姻の解消は許されなかった。(紅緒が伊集院との婚姻を断ることができなかったのもこのためである。)

また男性の不倫は「浮気は男の甲斐性」ということで許されていたが、女性には決して許されていなかった。ただし男性の不倫も大正4年には禁止されたがまだまだ庶民の意識としては「当たり前」と捉えられていた。

女学校は女性の花嫁修業の場所であった。しかし縁談が来ると直ぐに退学する生徒が多かった(当時の義務教育は小学校の6年間のみ)。(「はいからさんが通る」では紅緒がひさしぶりに女学校に戻ってみるとクラスメートの何人かが嫁入りのため退学している。)

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社会の情勢

第一次世界大戦

1914年から1918年に起こった欧州での第一次世界大戦は日本に空前の好景気をもたらした。それまで債務国だった日本は債権国になり、戦後に設立された国際連盟では常任理事国となり、新渡戸稲造などが連盟事務次長となるなど、国際的地位を大きく飛躍させた。

この時代の文明の普及はこの好景気によるところが大きい。一夜にして大金持ちになる「成金」という言葉が流行ったのもこの頃である。

戦後の不景気

しかしヨーロッパでの戦争が終わり復興にめどがたち始めると国内の余剰設備投資などで不景気なる。

シベリア出兵

1918年にロシア革命によって世界最初の社会主義国家が誕生すると各国が革命の波及を恐れて干渉戦争を起こした。日本も地理的に近いシベリアに7万3千人の兵力を派兵。「はいからさんが通る」の伊集院忍もこのために出征している。

しかし日本軍は日露戦争の時と異なり全く戦略性がない戦いを展開し、その結果多くの損害を出すに至った。このころから旧帝国陸軍の性格が変貌し始める。

(紅緒の婚約者の忍が行方不明になるのもこの戦いである。)

関東大震災

不景気に追い打ちをかけたのが1923年(大正12年)に発生した関東大震災である。これにより京浜地区の工業地帯は壊滅し、罹災者は10万人を超えた。

この復興に政府は後藤新平を抜擢。彼は大胆な政策を次々と実行し、壊滅した東京を大復興させた。これにより江戸時代の古い町並みがなくなってしまった反面、東京は近代都市として生まれ変わり現在の東京のもととなった。

しかし国家財政はさらに悪化し、これはその後の昭和恐慌、世界恐慌と長い不景気の時代となっていく。

普通選挙法の施行

1925年、それまで制限選挙(年3円以上の納税者男子のみ)だったが、納税制限がなくなり、男性だけであるが普通選挙法が施行された。

治安維持法の制定

しかし普通選挙法と同時に治安維持法も制定される。これは「アメとムチ」と言われた。当初は共産主義活動を対象としたものだったが、後に反政府活動全般へと拡大される。最高刑罰も無期懲役から死刑に変更された。

以後、明るかった時代は徐々に陰惨とした時代へと変わっていくことになる。遠くから軍靴の音が聞こえ、日本はそれまで歴史上経験したことのない国へと変貌していく。

 

(おわり)

 

今週の概略

(今日は診察の様子についてはあまり書くことがないのでツイッターに上げようとしたが、一応習慣なのでアップすることにした。)

今週の調子

今週はお盆休みということもあって比較的楽だったと言いたいのだが、ぼくは今年は休職の前にたくさん有休を使ってしまったので今年は夏休みはない。もともとうちの職場は7〜9月に5日間の夏休みを取ることができる。連続してとってもよし、何回かに分けてとってもよし、と言ったシステムだ。

ぼくは7月に調子を崩したため4日間の夏休みを心ならずもとってしまった。非常にもったいない使い方なのだが、仕方がない。

しかし前の記事でも書いたが8月の11〜13日の三連休に、ぼくは自分の置かれている状況を直視しなければならなくなった。

いままでいろんな心無い中傷を受けてきた。例えば

「病気を免罪符にしている。」

とか。

そこでその三連休以降、障がいをもっていてもどうすれば人並みに仕事ができるようになるか、について考察を重ねている。

すでに10個程度のアイデアは浮かんでいるのだが、今週はそのうちのいくつかを試験運用している段階だ。そういった意味で、今週は試行錯誤はあったものの、非常に充実した一週間だった。こんなに一週間が早くすぎた、と思ったのはどれぐらいぶりだろう。おそらく

「障がいに100%時間を支配されている。」という状態から、

「100%とはいえなくてもある程度は自分が自分の時間をコントロールしている。」

という感覚があったからかもしれない。

血液検査の結果

話を元に戻すが、今日は先週の血液検査の結果が帰ってきた。

データを見ると、

血中リチウム濃度:範囲内の下限

バルプロ酸血中濃度:範囲の下限を下回っている

というものだった。

あと、肝機能であるGPT、γGPTともに劇的に下がった。(主治医が「お酒止めた?」と聞いたくらいだ。ぼくは「ぼくはもともとお酒はめったに飲みませんよ(笑)」

と答えるシーンがあった。)

しかし中性脂肪が相変わらず高いのはご愛嬌、ということで(^o^)

薬の変更

そこで薬の処方を変更することにした。

今現在のぼくの処方は以下の通り。

これでいい感じで気分は落ち着いているが、ランドセンの量をもう少し減らすのと、デパケンRの効き目がもう少しあってもいい、という主治医の判断で、

デパケンR:300mg x 3 → 400mg x 3ということになった。

おそらくこれで調子が崩れるということはないと思うが、一応注意を怠らないようにしておこうと思う。

さて、次の診察は一週間後だ。来週も無事に出勤できるといいが・・・。

 

(おわり)