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双極II型障害と生きる いつも上を見上げて 

うつ→双極II型障害と闘いながら社会人やってます。時々ズッコケますが何とかやってます。この病気を一人でも多くの人に知ってもらいたいです。

闘病日記 職務経歴書の作成

みなさんこんにちわ。御機嫌如何でしょうか?マイクです。 今日はぼくがやった職務経歴書について書きたいと思います。 では、いってみましょう。 さて、履歴書が終わったら次は職務経歴書である。中途採用の場合、履歴書もさることながら職務経歴書の書類選…

闘病日誌:履歴書の作成

ぼくはつぎに履歴書と職務経歴書を作成した。 履歴書の作成と簡単に言うが、色々コツが有る。まずは学歴だが、義務教育終了の年から始めること。 また、これは最も大切だが、履歴書に添付する写真だが、これは絶対に写真屋に気合い入れてとってもらったほう…

転職 勝利の方程式の立案 2011年5~8月(3)

皆さんこんにちわ。ご機嫌いかがですか?マイクです。前回はマスター職務経歴書の作成まで作ったことを話しました。きょうはその続きです。 マスター職務経歴書の取扱 先日はキャリアの棚卸しとマスターの職務経歴書の作成をおこなった。 転職エージェントに…

転職 勝利の方程式の立案 2011年5~8月(2)

ぼくはまず転職するときにどのようなステージを通るかについて、ざっとまとめてみた。 下がその俯瞰図である。そのままでは見づらいと思うのでクリックして拡大してみてください。 転職活動全体の俯瞰図 案外転職者でもこれを頭に入れて活動している人は少な…

転職勝利の方程式の立案 2011年5~8月

ぼくは再び失業者になった。 しかしぼくにはこの選択は間違っていない、という確信があった。 しばらくアイエイアイのおかげでかかった適応障害、今となってはそれが双極Ⅱ型障害だとわかっているのだが、を癒やすため、ぼくは4ヶ月ほどの休暇をとった。そし…

天国に行ける会社 アイエイアイ名言集(2)後編

社長の怒りとうつの再発 次の日、ぼくは会社に出社した。 すると案の定、部長から呼び出しを食らった。そして社長の所に連れて行かれた。 「昨日どうして休んだ?」その問いに有休をとった理由の詳細を話した。すると、 「病院に行くぐらいなら半日あれば足…

天国に行ける会社 アイエイアイ名言(2)前編

2011年3月11日。ぼくはその日、毎朝のように眠い目をこすりながら4時前に起床した。 朝5時に出勤するためにはいくら車で10分とはいえ、この時間に出社しないといけない。 しかしその日のぼくは少し調子が違っていた。 会社に行きたくない、心からそう思った…

天国に行ける会社 アイエイアイ お祓い

ある日アイエイアイに成形加工機という金属を溶かして金型の中に高圧で入れ、金属の部品を作る装置が納入された。 はっきりとした価格は覚えていないが、数億はしたと思う。 そこでまた珍事が起きた。 なんでも社長の提案で、近所の神主を呼んで、トラブルが…

天国に行ける会社 アイエイアイ名言集

ちなみにぼくがこの会社に入社した際、聞かされた社長のポリシーを書き記しておこうと思う。 人の能力はみんな同じである。違うのはやる気である。やる気を測る尺度は残業時間である。 残業は150時間/月が最低ライン。(電通も真っ青!) 休みたいと思うな。…

天国に行ける会社 アイエイアイ 奇妙な慣習

ぼくはオリエンテーションを受けてから配属先の生産技術部に行った。 そこでまず最初にやらされたのは「お辞儀の仕方」だった。 お辞儀の仕方にも綿密な規定がある。例えば頭だけのお辞儀はもってのほか。腰から上をまっすぐに伸ばしたまま35〜40°下げる。そ…

天国のような会社(2) 2010年8月

みなさん、おはようございます。マイクです。 今年も最後の1日となりました。今日の最初の記事はぼくが入った限りなくブラックに近い会社の話です。 2010年8月16日、ぼくは新しい職場に初出勤した。 そこで総務から就業規則、労務条件についてオリエンテーシ…

天国のような会社 2010年8月

退職してから一年と5ヶ月が過ぎようとしていた。 しかしぼくはまだ職についていなかった。 というより求人がほとんどなかったのだ。あると言えば、タクシーの運転手の求人ばかり。ぼくはそんな重労働ができるノーミソではない。無理だった。 幸い、DVDやBlu-…

苦渋の決断 2009年3月

リーマン・ショックはぼくの予想を遥かに超えて世界の経済に大打撃を与えた。 日本経済も例外ではなく、急激な株価下落と円高が進み、バブル崩壊後回復の兆しを見せ始めた日本経済を一気にどん底に叩き込んだ。 ぼくの会社も一気に業績が落ち込み、事業の再…

ふつーのひとに戻れた喜び 2008年9月

復帰してから10ヶ月がすぎ、ぼくは職場で安定して仕事をすることができるようになっていた。ぼくは11月に復帰してから時短勤務を半年、8時間の残業なし勤務を4ヶ月行ってきた。今回は慎重に慎重を重ねて高度を上げてきたのだ。 ある診察日に主治医が言った。…

第二次復職体験記 2007年11月

ぼくは二度目の復職にトライした。 それまで二ヶ月間、家の周りの散歩にはじまり、最後には職場の目の前のマックで朝食を取れるまでになっていた。 行きの電車の中で職場の知り合いに出会うこともあった。最初はシンドかったが、徐々にそれも慣れていった。 …

復帰に向けて、主治医とともに計画を立てる。 2007年9月

2007年9月、ぼくはだいぶ症状が寛解して暇を持て余すようになっていた。 うつ状態からの回復の印として、暇を持て余す、ということがあげられる。というのは、暇を持て余す、ということはそれだけ「何かしたい」という意欲が湧いてきている証拠だからだ。 そ…

母の昇天:それは平安に満たされた最高のものでした。2008年9月

2008年9月、その時ぼくは会社に順調に復帰していた。この復帰の様子はまた日を改めて書こうと思う。 ぼくのガラケーが突然なった。 「まさか、」と思ったが、やはりその通りであった。 「マイク、お母さんが亡くなった。」 ぼくは自宅に戻り荷物をまとめ、九…

試練はつづくよどこまでも(5)2007年8月

母は入院して3週間が過ぎようとしていた。 ぼくは自分の休職期間のこともあるので、一旦東京に戻っていた。 忘れて欲しくないのだが、ぼくはこれでも重度のうつ病人である。そのぼくが母の世話をしに東京から九州の実家に帰っていたのだ。 正直言ってぼくも…

娘への恩返し :2013年6月

TGIF!みなさん、おはようございます。マイクです。今日も早朝からの投稿になります。ぜひ読んでくださいね。音楽も楽しんでいただければ嬉しいです。 今日はぼくが6年越しの娘への借りを返した日のことです。 お父さん、えらい! 時はいきなり飛ぶが、2013…

試練はつづくよどこまでも(4)祈りの力

そういえばこんな話を聞いたことがある。 アメリカのシカゴで不妊に悩む女性が無作為に100人ずつ二つのグループに分けられた。片方のグループにはクリスチャンたちの熱心な祈りが毎日半年間ささげられ、もう一つのグループには何もしなかった。 祈りが行われ…

試練は続くよどこまでも(4)男泣き 2007年6月

ぼくと父はとても胸糞悪い気分で母を連れて帰ってきた。 その日の夕方、母が普段通っている教会の宣教師が家を訪ねてくれた。 彼女は流暢な日本語で、「どうでしたか?」と聞いてきた。 すると、何故かぼくの目からどっと涙が溢れてきた。なんだか感情の糸が…

試練は続くよどこまでも(3)この病院、醜悪至極なり!

ぼくは次の日、親父と一緒に母親を精神科のある病院に連れて行った。 恐らく母は入院になるだろう。頻繁に見舞いに行くことを考えるとできるだけ自宅から近い方がいい。そう思ってタウンページで病院を調べ、一番近い病院に行ってみた。 当時はまだスマホも…

試練は続くよどこまでも(2)ぼくの親父 2007年6月

ここで話が脱線するが、ぼくの親父のことを書こうと思う。 前の記事で、ぼくの母親が、「親父が女と浮気している。」という妄想を持ったと書いたが、親父の名誉にかけて言いたいが、ぼくの親父にそんな甲斐性はない、もとい、そんな度胸はない、あれ?どう書…

試練は続くよどこまでも(1) 2007年6月

ぼくは再度休職した。 しかし試練はそれだけではなかった。 ある日突然、九州の実家から電話があった。親父からだ。 「お母さんが幻覚を見るようになってどうしようもない。お前の言う事なら聞くといっているから帰ってきてくれないか?」 幻覚?おふくろは…

第一次復職体験記(4)心とカラダがチグハグ状態 2007年4月

結局、ぼくの復職はたった4ヶ月で終わってしまった。 いや、復職に失敗したのだ。 ぼくは自分に対する自信を失っていた。自分はもう二度と仕事に、いや、社会に戻れないのではないだろうか?そういう敗北感がぼくを支配していた。 最初に休職した時と比べる…

第一次復職体験記(3) 墜落: 2007年3月

ぼくが復職して4ヶ月がたった。 しかしぼくの頭は一向に仕事に慣れる様子はなかった。 ぼくはこんな自分に対して、「これは怠けではないのか?」「自分はただ休みたいだけなんじゃないか?」という自分を責めることばかりを考えていた。 うつ状態になると脳…

第一次復職体験記(2):一日6時間の仕事:2007年1月

ぼくが復職してから一ヶ月が過ぎ、年も改って2007年となった。 今年はいい年になるといいな、と思いながら家族で教会の新年礼拝に出席したのだが、ぼくは精神的に疲れを覚えていた。 会社でやっていることは部の予算を管理する、という単純作業である。また…

第一次復職体験記(1):2006年12月

ぼくが休職してから、半年が過ぎた。 ぼくは身体をできるだけ動かすことに専念していた。外は寒いので、近所のフィットネスクラブに入会し、筋トレを有酸素運動を週3回ぐらいのペースでやっていた。 睡眠薬は5錠のままだったが比較的良好な睡眠は得られてい…

しあわせな日々 娘とのコミュニケーション 2006年8月

ぼくが退院してから数日が過ぎた。 ぼくは自宅の周りの毎日30分ほど散歩できるようになり、娘の幼稚園の送り迎えをすることのできるようになった。 そんなある日、幼稚園に娘を迎えに行ったあと、退屈だったので、娘と一緒に「ままごと」をして遊んだ。ぼく…

病院の朝

次の日の朝6時、一斉に病室の照明が点灯した。 ここの病院、とは言ってもたいていの病院んはそうみたいだが、夜9時就寝の朝6時起床だ。 僕は不眠のため3時には目が覚めていた。 それでも6時間眠れたのは何ヵ月ぶりだろう。ぼくはいつもにもなく爽快な気分だ…

精神病院入院体験記:その2 2007年6月

初日の夕方、ぼくは一通りのことを終え、病室のベッドに横になっていた。世界は相変わらず歪んでいる。そしてうとうととし始めたとき、横から、「おいお兄ちゃん、あんたなんで入院したんだい?」と隣の通称「おっちゃん」が馴れ馴れしく聞いてきた。せっか…

精神病院入院体験記:入院だ~ 2007年6月

ぼくが入院した病院は環七通り沿いにあるM病院というところだ。正直に言う。ぼくはそれまで「精神病院に入院する」ということに対して、いや、入院患者に対して蔑視とまではいかなくてもある意味のネガティブなイメージを持っていた。 それが自分に降り掛か…

受け入れがたい宣告 2007年6月

ぼくの睡眠障害とうつ病、とは言っても睡眠障害はうつ病の症状の一つなのだが 、一向に良くならなかった。そして週一の受診日の前日、ぼくは何もする気が起きなくて、(というより思考が完全に停止した、と言ったほうがいいだろう。)状態からなんとかフラフ…

精神状態が黄信号 2007年5月

2007年5月、休職して一ヶ月が過ぎて二ヶ月目に入った。その頃のぼくは相変わらず夜の睡眠時間は長くても4時間程度、それもウトウトといった感じでしか眠れない状態だった。昼間も常にウトウトしているがぐっすり眠れない。人間は食べないよりも寝ないほうが…

苦しみの中で 2007年4月

ぼくは休職した。今までのように朝7時に起きて会社に9時前に出社し、仕事をして夜9時頃に帰宅する、という20年近く続けてきて当たり前となっていたルーチンが突然無くなったのだ。一日何もしないでベッドに臥せっている。かつて「一ヶ月ぐらい寝て過ごしたい…

そして休職 2007年4月

その日の夜、ぼくは家内に言った。「もう限界だ。会社を辞めたい。」ぼくはこのとき家内がどう言うか心配だった。当時はまだ長男が小学三年生、長女はまだ5歳だった。ぼくの収入が無くなったらやっていけなくなるのではないか?それが心配で今まで必死で耐え…

奈落の底へ 2007年3月

ロサンゼルスでの会議は首尾よく終了した。専務からご褒美とお褒めの言葉を頂いたが、ぼくは諸手を挙げて喜べなかった。なぜならこの会議の終了はぼくのこの仕事の終わりをも意味していたからだ。 開発の仕事は必ず終わる時が来る。それは決してすべてが成功…

うつ病人が国際会議のチーフアシスタント? 2007年3月 ロサンゼルス ホテル リッツ・カールトン マリナ・デル・レイ

2007年の3月。ホテルリッツ・カールトン マリナ・デル・レイ。世界的にも名高い一流ホテルに於いて、ぼくが携わってきた仕事の一大イベントが行われようとしていた。今まで5年にわたり新しいデジタルメディアの開発と審議を行ってきたメンバー約200社が一同…

初体験!睡眠薬と抗うつ薬 2006年 9月

初めて精神科外来を受診したぼくは睡眠薬「マイスリー」を処方された。 ゾルピデム - Wikipedia これは短時間型の睡眠薬で、寝付きを良くする効果がある。しかしぼくの場合、ベッドに入ってから3時間ぐらいは眠れるようになったが、薬が切れると目が覚めてし…

初めてのメンタルクリニック 2006年 9月

話は元に戻る。 「なんだ、思ったより普通じゃないか。」 生まれて初めて精神科に来たぼくは拍子抜けした。 もっとも今から考えれば当たり前なのだが、個人で開業していて入院施設を持たないクリニックに来る患者はそんなに重症な人はいない。見たところごく…

ぼくがうつになったわけ(2)2006年 7月

相変わらずぼくの海外出張は続いていた。しかも議題は極めて政治的なものとなり、ぼくのような一介のエンジニアには即決できないものが増えてきた。 その頃から、ぼくは体に異変を感じ始めていた。食事が喉を通らないのだ。それもただ単に食欲がない、という…

ぼくがうつになったわけ(1)2004年 11月。 ニューヨーク、JFK空港

こんな生活してりゃのーみそも壊れるわな…。