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双極II型障害と生きる いつも上を見上げて 

うつ→双極II型障害と闘いながら社会人やってます。時々ズッコケますが何とかやってます。この病気を一人でも多くの人に知ってもらいたいです。

ぼくがうつになったわけ(1)2004年 11月。 ニューヨーク、JFK空港

やれやれ、やっと3泊4日の出張が終わった。NY発成田行きの飛行機のビジネスクラスの座席のリクライニングを思いっきり倒し、ぼくはヘトヘトに疲れていた。
日本を出発する北米便は殆どが現地の午前に到着するようになっている。つまりニューヨークに到着するのは午前10時。その後食事をして午後から予備会議。その後さらに夜には打ち合わせが入っている。そのためまる二日寝ていないのだ。
当時のぼくの仕事は、とあるデジタル映像メディアの規格討議のため、会社の技術者代表としてこの会議に参加する、というものだった。
この規格は世界の主な電機業界だけでなくハリウッドの映画業界、アメリカ西海岸の情報関連企業、が集まって規格を決定するという画期的なものだった。いまではすっかり世の中に普及してぼくはそれをお客様がレンタルしたり購入したりするのを見ると、「やってよかった。」と心から思う。
従来の電子機器やインターフェースのプロトコル(電子機器、コンピューターなどのやり取りにおいてどのような信号をどのような形で送るか、についての決まりごと。)を決める際には各社各様で開発し、その勢力争いの中で勝ち残ったメーカーが事実上の標準(デファクト・スタンダード)を勝ち取る、といったものだが、今回は初めて世界の主な関係会社200社以上が一同に集まり標準規格を決める、という全く違ったスタイルを取ったものだった。
ぼくがいた会社はその中でもリーディングカンパニーの一つとして会議をリードする立場にいた。
ぼくはこの仕事が気に入っていた。英語を用いていろいろな国の人と技術的な話ができたし、それを通して自分の語学、技術スキルも上がる。また個人的な友人も多かった。議題が白熱することもあったが、仕事を離れれば彼らはとても気さくな連中で、会議の後のパーティーではみんな半分酔っ払ってバカをやったりしたものだ。
しかし難点もあった。それは2~3週間ごとに海外出張があることだ。世界各国各社の会議の負担を平等にするため、アジア、北米、ヨーロッパと持ち回りで会場が変わる。それだけならまだいい。ネットの発達のお陰で(もっとも発達させたのは我々にも大きな責任はあるのだが)、海外(特に欧州、北米)では現地の夜が日本の昼になる。そのため、会議が終わってへとへとになって帰ってきてもノートPCを開くと「未読メール」が山ほどあって、しかもその殆どが「本日中に返事ください。」と「!」マークがついている。
メールの処理が終わる頃には夜が白み始めている。そんな繰り返しで3泊4日のうち、トータルの睡眠時間が(一日ではない。3泊4日でだ。)7時間程度だった。更に時差ボケも伴って、帰りの飛行機では機内食も食べずに爆睡する、といった感じだ。
そんな生活が約6年間続いた。そしてそれは静かに、しかし確実にぼくの脳にダメージを与えていた。

 

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