双極性障害2型と生きる いつも上を見上げて 

うつ→双極性障害2型と闘いながら社会人やってます。時々ズッコケますが何とかやってます。この病気を一人でも多くの人に知ってもらいたいです。

うつ病人が国際会議のチーフアシスタント? 2007年3月 ロサンゼルス ホテル リッツ・カールトン マリナ・デル・レイ

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2007年の3月。ホテルリッツ・カールトン マリナ・デル・レイ。世界的にも名高い一流ホテルに於いて、ぼくが携わってきた仕事の一大イベントが行われようとしていた。今まで5年にわたり新しいデジタルメディアの開発と審議を行ってきたメンバー約200社が一同に集まり、いよいよ規格が最終決定されるのだ。
この会議で無事全体の三分の二以上の賛成を取ればこの規格は実際に製品となり、世界の顧客に販売することができる。
しかし全ての開発メンバーがこの規格に賛成しているわけではない。中には自社の規格を世に広めんため、この規格を潰すために参加している会社も少なくなかった。
そういう会社の論理をいかに論破するか、それも僕たちは考えなければいけなかった。決して順風満帆というわけではないのだ。

時はその三ヶ月前にさかのぼる。ぼくはある日、本社の技術最高顧問兼専務取締役から呼び出しを受けた。
「マイク、君にやってほしいことがあるんだ。」
その場にいた人たちはぼくの上司も含め会社のトップクラスの人たちばかりだった。ぼくはなぜそんな場所に突然呼ばれたのか、見当がつかなかった。
顧問は言った。「来年の3月に、規格策定会議の最高会議がある。そこで我々はどんな手段を使ってでも規格を合意に持っていかなければならない。それにはいろいろな根回し力と語学力、交渉力を兼ね備えたチーフアシスタントが必要なんだ。それを君に引き受けてもらいたい。」
ぼくは突然の事に驚いた。言葉が出なかった。
やっと口から出た言葉は、
「どうしてぼくなんですか?他にもっと適任者がいると思いますが・・・。」
すると、
「君はうちの会社でTOEIC975の最高記録を持っている。また他社の技術者たちにも顔が広い。へらず口も達者だ。(これはあまり嬉しいことではないが。)君しかいないんだよ。」確かこんなことを言われたと記憶している。
だが内心、これはまずいことになった、と思った。
ぼくはこの時すでにうつの治療を受け始めて三ヶ月が経っていた。その間、これが会社に知れるとぼくは今の仕事を外されるかもしれない。それが怖くて家族以外の周りには何も言っていなかった。果たして今のぼくの脳の状態でこの大役をやりきれるだろうか?しかしこれは業務命令だ。ぼくに選択の余地はなかった。
「わかりました。ご期待に添えるよう、最大限努力します。」こう答える しかなかった。

それからほぼ毎週のようにぼくは日本とアメリカ、ヨーロッパを往復した。それがぼくの脳にどういう影響をもたらしたかは言うまでもない。
どんどん意欲は低下していく。皮肉にもぼくのカードのマイレージはそれと反比例するように上昇していった。ぼくのパスポートは入国審査のスタンプを押せるページがなくなりページが増刷されるという珍事も経験する羽目になった。

ぼくはできるだけこの仕事だけに集中するよう心がけた。他にも担当している仕事があったが、それは全部部下に押し付けた。出来るだけ時差ボケにならないように、現地にいる時間を長くした。これは時差ボケ対策だけでなく睡眠時間をできるだけ確保する、という目的があった。つまりアメリカの会社を訪問するときは一回の旅程で出来るだけ多くの会社を訪問する、と言った具合に。そうすることによって飛行機で移動している間に少しでも睡眠時間がとれるし時差ボケも解消し睡眠も良くなる、というわけだ。
会場はロサンゼルスのホテル リッツ・カールトン マリナ・デル・レイに決定した。毎週のように訪問し支配人と打ち合わせを行い、四日間のスケジュールを細部まで詰めていく。宿泊施設のチェック、空港からの出迎えリムジンの手配から様々な歓迎イベント、毎日の料理の品定め、参加者に配る記念品は何にするかまで。なにしろ200人を超える宿泊客を迎えるのだ。ホテルにとってもこんなにおいしい話は滅多にないだろう。まるでタイソン対ホリーフィールドの試合がこのホテルで行われるような感じだ。実際、向こうの支配人もなんとかして成功させようといろいろな便宜を図ってくれた。

それとは裏腹にぼくは脳の悲鳴を感じていた。出来るだけダメージを少なくしようと心がけたがそれにも限界がある。ぼくの不眠は改善するどころかますます悪化していった。毎晩飲む睡眠薬の量は増え、そのせいか昼間もぼーっとしていることがあった。参加メンバーの会社との打ち合わせも多かったため、物忘れが内容に打ち合わせの内容はすべて録音し、それを聞きながら会社にメールを送った。

そして会議が始まる前々日、ぼくは一足先にロサンゼルスに入り、最終確認をおこなった。しかしここでひとつうっかりしていたことがあった。二日目の昼食会はこのホテル自慢の中庭で行われることになっていたが、当日はなんとロサンゼルスにしては珍しく雨の予報。もともとほとんど雨の降らない地域なので想像だにしていなかった。慌てて雨のときのバックアップを支配人と協議し、普段は昼食には使わないボールルームを特別に貸してくれることとなった。(幸いにも当日の予報ははずれ、曇りながらも雨は降らなかったので中庭での昼食会となった。)
しかし更にトラブルが発生した。日本から送った記念品が書類の不備から税関に引っかかり、ストップしてしまったのだ。すぐさま税関事務所に駆けつけた。いろいろ説明したがどうしてもだめだという。
しかたがない。本当はやってはいけないことだがぼくは奥の手をつかった。税関の係員に「袖の下」を握らせたのだ。そしてどこをどう直せばいいかを詳細に教えてもらい、なんとかこの危機を乗り切ることができた。

そして最も緊張した最高会議。今までさんざん根回しを行い、ほぼ三分の二の会社の合意を取り付けていたが、審議は紛糾。一旦休憩に入りその間に各個撃破を行う。もうこのレベルになるとぼくのレベルではどうすることもできない。専務に全てを委ね、なんとか合意を再度取り付けることに成功した。
こうして、会議は無事に終わった。なんとか大任を果たすことができた。後日、専務直々の感謝のメールと金一封をもらった。あと、もう一つのご褒美はこの会議に向かう往復の飛行機で、生まれて初めてANAのファーストクラスに乗ったことだ。聞けば往復160万円だとか!ラウンジもすごかった。CA(キャビンアテンダント)の質も別格。乗客一人にほぼ1人のCAが付きそれもしつこさがない。搭乗時と降りる時には付き人が付き、入国審査も他の客の長い列を横目に見ながら最優先待遇。VIPとはこんな気分なんだと実感した。しかしもう一生こんな機会はないだろう。

だがこの業務がぼくの脳に与えたダメージはそれ以上のものだった。

この後、ぼくのうつは加速度的に悪くなっていく。