双極性障害2型と生きる いつも上を見上げて 

うつ→双極性障害2型と闘いながら社会人やってます。時々ズッコケますが何とかやってます。この病気を一人でも多くの人に知ってもらいたいです。

歴史を動かした「双極性障害」 エイブラハム・リンカーン

エイブラハム・リンカーン双極性障害だったことは有名な話だ。

彼は30歳過ぎまでは貧しいながらも順調な人生を過ごした。それはごくごく庶民的なものだった。独学で法律学校に学び、弁護士になるに至る。彼は弁護士として持ち前の弁論術を発揮し、イリノイ州で最も手強い弁護士として成功するに至る。

そういった反面、自分の若さゆえの短気のため、匿名でライバルのことを中傷し、決闘騒ぎまで起こしている。

 

そんな彼が双極性障害を罹患するに至った原因はメアリー・トッドとの結婚だったと言われている。メアリーに何か欠点があったわけではない。むしろ上流階級の出身であり、社交的ですべてのものを兼ね備えていた。それが庶民階級の出身だったリンカーンに劣等感を与えたのだ。

彼はこの結婚を受けるかどうか悩むうちに双極性障害を発病。極度のうつ状態に陥る。

それは希死念慮(死にたい、という思い)を伴う重度なものだったらしい。

これを心配した親友でありかつてのルームメイト、ジョシュア・フライ・スピードが自分の故郷で静養するように勧める。リンカーンはこれを受け入れ、一年ほど静養する。

 

その後回復した(というより軽躁状態になっていた、と今は思われている。)リンカーンは、こう言っている。

 

「ぼくは死ぬことを怖いとは思わない。しかし人間としてこの世に生まれてきた以上、その意味と生きがいを見つけるまで、ぼくは死なない。」

 

その後、彼はメアリーと結婚。その後も双極性障害の波を繰り返し、うつ状態のときには落ち込み、軽躁状態のときには饒舌になる、ということを繰り返した。

 

リンカーンはその後も躁状態うつ状態を繰り返しながらも1846年、下院議員に当選。彼は弁護士時代から本来持っていた誠実さと公平さ(これはおそらく寛解状態だったと思われている。)から、Honest Abe (正直者エイブ)と呼ばれるようになる。 

 

1960年の大統領選挙では民主党のスティーブン・ダグラスを抑え、第16代合衆国大統領となる。この頃は軽躁状態にあったことが彼のディベートにプラスに作用したと考えられている。

 

しかし彼は奴隷解放論者であったため、南部諸州は合衆国からの離脱を宣言。これを期に南北戦争が起きることとなった。

 

南北戦争の最大の激戦地、ゲティスバーグの戦いにおいて、ミード将軍率いる北軍は勝利を決定的なものにしようとしていた。南軍のリー将軍は豪雨の中、ポトマック川を背に退路を絶たれた状態だった。これを痛撃すれば、南軍は全滅していたであろう。戦術上の観点から見ても、この機を逃してはならなかった。

 

しかしミードはなぜか攻撃をしなかった。そして南軍は無事にポトマック川を渡ることが出来たのだった。

リンカーンはこの報告を聞いて愕然とした。そしてかねてから出始めていたうつ状態も相まって、絶望してしまった。

彼はミードに対して手紙を書いた。普通の人がこのような時に書く手紙はおそらく非難、怒り、中傷に満ちたものとなったであろう。

 

しかしうつ状態の彼が書いた手紙は非常に柔らかい文面となった。

 

拝啓、わたしは敵将リーの脱出によってもたらされる不幸な事態の重大性を貴下が正しく認識されているとは思えません。敵はまさに我が手中にあったのです・・・

(中略)

今後、貴下の活躍に期待することは無理なように思われます。事実、わたしは期待していません。貴下は千載一遇の好機をのがしたのです。そのためにわたしもまたはかり知れない苦しみを味わっているのです。

 

 

これはかなり柔らかい文面だが、これを読んだミード将軍はどう思っただろう?

 

ところが、ミード将軍はこれを読まなかった。うつ状態にあったリンカーンはこの手紙を出すことを迷い、結局投函しなかったのだ。(後にこの手紙はリンカーンの死後に遺物から発見された。)

リンカーンはその後、この激戦地で演説をおこなう。有名な、「ゲティスバーグ演説」である。

一般的には"The government of the people, by the people, for the people."として有名だが、全文は以下のとおりである。

 

Four score and seven years ago our fathers brought forth on this continent, a new nation, conceived in Liberty, and dedicated to the proposition that all men are created equal.
87年前、われわれの父祖たちは、自由の精神にはぐくまれ、人はみな平等に創られているという信条にささげられた新しい国家を、この大陸に誕生させました。

Now we are engaged in a great civil war, testing whether that nation, or any nation so conceived and so dedicated, can long endure. We are met on a great battle-field of that war. We have come to dedicate a portion of that field, as a final resting place for those who here gave their lives that the nation might live. It is altogether fitting and proper that we should do this.

今われわれは、一大内戦のさなかにあり、戦うことにより、自由の精神をはぐくみ、自由の心情にささげられたこの国家が、或いは、このようなあらゆる国家が、長く存続することは可能なのかどうかを試しているわけであります。われわれはそのような戦争に一大激戦の地で、相会しています。われわれはこの国家が生き永らえるようにと、ここで生命を捧げた人々の最後の安息の場所として、この戦場の一部をささげるためにやって来たのです。われわれがそうすることは、まことに適切であり好ましいことなのです。

But, in a larger sense, we can not dedicate – we can not consecrate – we can not hallow – this ground. The brave men, living and dead, who struggled here, have consecrated it, far above our poor power to add or detract. The world will little note, nor long remember what we say here, but it can never forget what they did here.

しかし、さらに大きな意味で、われわれは、この土地をささげることはできません。清めささげることもできません。聖別することもできません。足すことも引くこともできず、われわれの貧弱な力をはるかに超越し、生き残った者、戦死した者とを問わず、ここで闘った勇敢な人々がすでに、この土地を清めささげているからです。世界は、われわれがここで述べることに、さして注意を払わず、長く記憶にとどめることもないでしょう。しかし、彼らがここで成した事を決して忘れ去ることはできないのです。

It is for us the living, rather, to be dedicated here to the unfinished work which they who fought here have thus far so nobly advanced. It is rather for us to be here dedicated to the great task remaining before us – that from these honored dead we take increased devotion to that cause for which they gave the last full measure of devotion – that we here highly resolve that these dead shall not have died in vain – that this nation, under God, shall have a new birth of freedom – and that government of the people, by the people, for the people, shall not perish from the earth.

ここで戦った人々が気高くもここまで勇敢に推し進めてきた未完の事業にここでささげるべきは、むしろ生きているわれわれなのであります。われわれの目の前に残された偉大な事業にここで身をささげるべきは、むしろわれわれ自身なのであります。―それは、名誉ある戦死者たちが、最後の全力を尽くして身命をささげた偉大な大義に対して、彼らの後を受け継いで、われわれが一層の献身を決意することであり、これらの戦死者の死を決して無駄にしないために、この国に神の下で自由の新しい誕生を迎えさせるために、そして、人民の人民による人民のための政治を地上から決して絶滅させないために、われわれがここで固く決意することなのであります。

 

たった272語の短い、2分程度の演説だったらしいがそれが幸いしこれはリンカーンの演説の中で歴史に残るものとなった。

ちなみにこの時の彼は、「軽躁状態」だったらしい。

 

1864年南北戦争集結

 

1865年4月 リンカーン暗殺。56歳の波乱に満ちた人生を閉じた。

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