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双極II型障害と生きる いつも上を見上げて 

うつ→双極II型障害と闘いながら社会人やってます。時々ズッコケますが何とかやってます。この病気を一人でも多くの人に知ってもらいたいです。

試練は続くよどこまでも(2)ぼくの親父 2007年6月

闘病日記

ここで話が脱線するが、ぼくの親父のことを書こうと思う。

前の記事で、ぼくの母親が、「親父が女と浮気している。」という妄想を持ったと書いたが、親父の名誉にかけて言いたいが、ぼくの親父にそんな甲斐性はない、もとい、そんな度胸はない、あれ?どう書けばいいんだろ?

とにかく、親父は男の甲斐性とされる「のむ、うつ、かう」に関しては「のむ」を除いて全く興味を示さない男だ。

「飲む」においてもそんなに毎日浴びるほど飲むわけでもなく、ましてや家庭を崩壊させるような飲み方はしたことはないし今もしない。

ぼくもその血を引いているせいか、いや、それ以上だが、「のむ、うつ、かう」については全く興味がない。

若い頃は酒やタバコを浴びるように飲んでいたが、25歳のときに卒業してしまった。

おっと、親父の話だった。

親父はただ、ノルアドレナリンの分泌が多いのか、すぐに切れる、というところと、またそういう人間に共通している「チキンハート(小心者)」というところはある。しかしそれが無謀な投資や賭け事に一切手を出さないという抑止力となっていた。

ぼくはこの親父に何回もこっぴどく殴られたことがある。しかしそれは一貫していて、

  • 嘘をついた時
  • 弱い者いじめをしたとき
  • 卑怯なことをした時

に限られていた。(ちなみに上記は我が家の家訓としてぼくの家にもある。)

家が貧しかったので学校も行けず、自衛隊に入って地上の車両という車両(なんと戦車も)の免許を取った。それで日本中を飛び回り、ぼくたち家族を養ってきたのだ。

ただ、この親父にも妙な癖があった。

突然家を改築するのだ。おふくろが死ぬ前に元々住んでいた家をデイケアハウスに貸与し、自分はこじんまりとした家を建てた。

バリアフリーの家で、親父に言わせるとここでおふくろと一緒に住むんだ、と言っていたが、多分これは8割は本当で2割は自分の趣味だろう。

それだけではない。ぼくがまだ中学の頃、突然自分で屋根付きの車庫を作り始めて鉄筋コンクリートの頑丈な車庫(ぼくはシェルターとよんでいた。)を作ったこともあった。

また、ぼくが高校生になってドラムを始めるや否や、ぼくのドラムの練習のために、防音室を作ったりしたこともあった。ここでぼくは強く言っておくが、ぼくはこれに関しては一言も頼んだ覚えはない。

今にして思えば、親父にも双極Ⅱ型障害があった、もとい、あるのかもしれない。

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