読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

双極II型障害と生きる いつも上を見上げて 

うつ→双極II型障害と闘いながら社会人やってます。時々ズッコケますが何とかやってます。この病気を一人でも多くの人に知ってもらいたいです。

双極II型障害と創造性について(ぼくの場合)

双極II型障害

こんにちわ。マイクです。

だいぶ前ですが、双極II型障害の方の性格について大雑把にまとめてみました。

www.flahertylog.com

その中で、「一匹狼の性格がつよい。」、「目標設定が高い。」、「芸術家肌の人が多い。」ということを取り上げました。

今回はこれについて掘り下げてみたいと思います。

なぜ一匹狼なのか?

先日双極性Ⅱ型障害の人は「甘え下手である。」と書きました。人から甘えられるのはうまく、いや相手が望む以上のものを提供できるのですが、自分から甘えるのはどうも苦手。それゆえどうしても他人とのコミュニケーションが遠くなります。人間のコミュニケーションは互いに近すぎず遠すぎずちょうどいい距離を取り合って初めて良好なものが構築されるからです。

相手との距離が遠いとコミュニケーションは疎遠になりがちです。その代償を補完するため、ぼくは自分の世界に没頭することになります。

そして人に聞くことは迷惑をかける、と思ってしまう性格から、なんでも自分で抱え込み、解決しようとします。それが一匹狼としての性格を生むのではないか?と自分自身で思っています。

高い目標設定、集中力

双極性Ⅱ型障害の人は自分で物事を解決する能力を小さい頃から高めてきただけでなく、それに必要な集中力も身につけてきました。それは人とのコミュニケーションで得られるべき社会的評価を自分自身の力で獲得し、間接的な他者からの評価を得ることによりその代償としてきました。

それゆえ、他人に甘えるのではなく自分の能力に甘える、あるいは自分に高い目標を課してそれに没頭することにより自分の勝価値を見出す、という行動に出ます。それが高い集中力と高い目標設定、という被虐的な心的満足を得ていると思うのです。

少なくとも自分の自分史と過去のパターンを省みるとそんな気がします。まあ、ある意味で言う「おたく」の世界もこれに共通するものがあります。

芸術家肌の人が多い。

人間はだれでも他者からの評価を求めて生きています。人間が社会的動物である以上、人間は他者との適切なコミュニケーションを取る生き物なのですが、その一方で、この世における何者にも侵されない自分の領域を求めます。

本来、精神的に安定した人はこの誰にも侵されない自分の領域は、「自分はそのままでも誰も自分の領域を侵すことはない。」という安心感をもって受け入れています。

しかしぼくはこの「自分はそのままでいいという無報酬で与えられる自己肯定感」が少ないのか、どうしてもある分野で抜きん出ようという思いが背景に存在するんですね。

それが先に述べた高い集中力と目標設定とあいまって、芸術の領域までに自分の興味があることを極めて高いレベルまで追求することにより、誰からも不可侵の領域を形作って安心感を得ているんじゃないかなあ、と思うことがあります。

ぼくにとってはドラム演奏、そして英語がこれに当たります。実力はともかく、探究心にかけてはもうオタクの域ですね。街を歩いていて気に入ったドラムフレーズに出会うと「どうやって演奏しているんだろう。」ということばかり考えてしまいます。英語についても気に入ったフレーズを耳にするとメモしてしまう。

偉大な芸術家と呼ばれる人たちには双極性障害ADHDの人が多いです。ゲーテしかり、ヘミングウェイしかり、ベートーヴェンしかり。

創造性と軽躁状態

ただ、上記の没頭しているときって「軽躁状態」のときが多いんです。

躁状態というと、あふれるばかりのアイデアが浮かんできて天才のようなイメージを受けますが、そんなことはありません。むしろ恐怖心と隣り合わせです。

ぼくが毎日自分の感情をグラフにつけているのは、自分の感情がどういうトレンドにあるかをチェックする目的があります。いつ「直下型激うつ地震」におそわれるかわからないからです。

この恐怖心をごまかすために双極Ⅱ型障害の人は頭を忙しく使います。それが上記の集中力や創造性につながっていると思うんです。

 

ちょっとむずかしい話になりましたが、双極Ⅱ型障害の方は思い当たるフシがあるのではないか?と思います。共感してくれる人がいると嬉しいです。