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双極II型障害と生きる いつも上を見上げて 

うつ→双極II型障害と闘いながら社会人やってます。時々ズッコケますが何とかやってます。この病気を一人でも多くの人に知ってもらいたいです。

日米の上司と部下の関係

以前に、欧米人の「平等」についての観念の違いを記事にした。

 

www.flahertylog.com

あれからぼくはずっと、なぜこのような違いが生まれるのだろう?と考えていた。

これはあくまで筆者の米国駐在の経験からくるものだが、おそらく以下のような違いがあるのではないか?と思う。

上司と部下の関係

日本の上司と部下の関係を考えてみる。仮に部下が大きな失敗をした場合上司はその責任を取るだろうか?

犯したミスの程度にもよるが、大体の場合上司はその責任をそのまた上の上司から咎められることは殆ど無い。

「部下が(秘書が)勝手にやったことです。」

この言葉がまかり通る世界、それが日本だ。

これに対して、アメリカの場合、上記のようなことを言ったとたん、次のような質問が返される。

「部下(秘書)のやったことはあなたの管理責任下にあるのではないか?」

つまり、欧米では部下に対して上司は解雇も含めた強大な権限を持っている。そして部下が犯したミスはすべてその上司の責任、ということになる。

上司が部下に対する責務

しかしこの強大な権限を有する反面、上司は部下に対して以下のことをしなければならない。

欧米では、

部下が失敗しないように、部下の持っている能力を最大限発揮できる環境を作る。

部下ひとりひとりが持っている能力というのは当然のことながら異なる。また同じ職種でも8できる人もいれば10できる人もいる。

しかしそのそれぞれに対し8の能力の人も10の能力の人もそれぞれが自分の最大のパフォーマンスを出せるようにする。それが上司の責任であり、部下に対する「平等」というものだ。

よって

「あなた達には出来る限りベストの環境を提供している。だからそれぞれ出来る限りのパフォーマンスを出してほしい。」

といえるのかもしれない。

一方日本の場合はどうか?一言で言うと、「能力が異なっても同じルールのもとに働くのが平等」だ。

そのなかで8のパフォーマンスしか出せない人は「10のパフォーマンスの人に対して劣る。」して評価される。

ここで誤解を避けるために言っておくが、8のパフォーマンスしか出せない人は10のパフォーマンスを出せる人より報酬が低いのは悪い、と言っているのではない。言いたいことは

「多くを持っている人は多くを求められる。そしてそれを達成した人はそれに値する報酬が与えられ、より多くのものを任される。他人との比較ではなく、個人がどれだけ頑張ったか?によって評価される。」

ということだ。

最近の日本の変化

もっとも、最近は「適材適所」という言葉が日本にも定着しつつあり、それぞれの能力を最大限発揮できるようにしようと変わりつつある。また、個々人が年間の個人の目標設定を行い、年度末にはそれに対するレビューが行われることも多くなっている。

これがもっと踏み込んで適用されるといいな、と思う。

日米、それぞれの文化の一面であって、どちらがいいか悪いかは簡単には言えないが、ぼくのように障害を持っていてどんなに頑張っても健常者と同等のパフォーマンスを出せない人間にとっては、「自分に対してどうだったか?」によって評価されたい、と思う次第である。