双極性障害2型と生きる いつも上を見上げて 

うつ→双極性障害2型と闘いながら社会人やってます。時々ズッコケますが何とかやってます。この病気を一人でも多くの人に知ってもらいたいです。

明治時代とはどんな時代だったか?

今日は毎週通っているメンタルクリニックが夏休みなので、たまにはそれ以外の話題を一つ。

先日、西武線清瀬駅西友清瀬店を結ぶ通路、通称「ペデストリアンデッキ」というところで、おそらく左翼系と思われる団体が街頭演説をしていた。

内容としては「憲法第九条を守ろう!」と言った、特に真新しいことはなかったのだが、一つだけ、「?」と思うことがあった。(ちなみにぼくはどちらかと言うと護憲派である。)

「安倍政権はなんと、『明治時代の日本に戻そう!』そう言っているのです。そんな政権を許すことができるのでしょうか?」

この方々、明治時代とはどんな時代だったかを知っているのだろうか?と思った。

色眼鏡を通してみた明治

どのような時代でも、右より、左よりの「色眼鏡」で見ると悲惨な時代に見える。例えて言えばモノトーンのフィルターをかけた暗い感じのように。

明治時代もそうだ。この時代、女工哀史があった。足尾銅山鉱毒事件があった。民権はあまりにも弱く、国権は強大であった。

それまで戦とは無縁だった人々(農民、町民など)には徴兵令という「国民皆兵」という名の下、国家を守るために壮年の男性は必要とあれば兵役という「血の税金」を払わなければならなかった。

しかしそればかり見ていては明治の政治家、ひいては国民の思いは正確には伝わらないだろう。

事実から見た明治

実際、明治時代には何が起こったのか?という観点から考えると「モノトーンのフィルター」を外して客観的に見ることができるかもしれない。

この時代、日本は明治維新という「改革」に成功し、日清、日露の戦争で勝利を収め、欧米からの植民地という侵略を跳ね返したばかりか、世界の五大国に成長した。特に当時の強国ロシアを相手にして勝利した(ぼくはこの勝利は「判定勝ち」だと思っているが)時は白色人種の国々だけでなく有色人種の国々、地域にとっても驚嘆の目で迎えられた。その結果、白色人種には「黄禍論(黄色人種は白人にとって脅威である、という説)」が生まれ、有色人種には「自分たちにもやれるかもしれない。日本に見習おう!」という世界的ムーブメントが生まれた。

人工的に生まれた国家

しかしそれから38年前の明治時代が始まったばかりの頃は世界はおろか日本人にもそんな事ができるとは思っても見なかっただろう。

「市民階級による民主政治」は欧米で市民革命を通して生まれてきた概念だが、明治政府はこれを日本に導入しなかった。というよりできなかった。

なぜなら日本には「市民階級」という知識人層が存在しなかったのである。

それ故、明治政府は「国家のシステム」を国家から民衆に与える、と言うかたちを取らざるを得なかった。それまでの(比較的緩やかではあったが)身分制度士農工商)を廃止し、すべての民衆が「国民」となった。そして彼らは「新しい国家を建設する」という責務を与えられた。

明治政府が最初にやったことはまず、「草の根分けても全国から優秀な人材を探し出すこと。」だった。たとえ出身が地方の貧しい農村であっても、卑しい身分であっても、才覚と努力する事ができる人間を国家の費用で欧米に留学させ、最新技術を習得させて日本に持ち帰り、それを日本に普及させる。そうすることにより近代国家の建設に取り組んだのだ。そのための費用はすべて国家が負担した。

これに対する庶民の反応はどうだったか?

庶民国民の反応

これに対して庶民はどう反応しただろう?正確には「庶民」というより「国家のことを考える『国民』と表現したほうが正確かもしれない。

庶民はそれまで国家のことなど考えたこともなかった。せいぜい「おらが村」という範囲でしか考えたことはなかっただろう。

(注:残念ながらこれは今の国民の政治に対する考え方も「おらが村の議員さん」、つまり国政より自分の地域にお金を落としてくれる候補に投票する、という形で残っている。明治政府が「市民が成熟していない日本には政党政治は30年早い。」といって頑なに拒んだのはこういう弊害が現れることを心配したせいだと言われるが、的を得ていると思う。)

圧倒的に高かった識字率

しかし当時の日本の国民には世界にはない強みがあった。

それは「驚異的な識字率の高さ」である。

当時の先進国イギリスでさえ庶民の識字率は25%ぐらいだった。しかし同じ時代の日本人の識字率は控えめに見積もっても75%を超えていたのである。

識字は教育の要である。この素地がすでに固まっていた日本は続々と人材が生まれてきて当然の国だった。それが明治時代の前の時代、江戸時代から続いた教育の結果であることは言うまでもない。

当時の若者の意識

更に重要なのが若者の意識であるが、当時の若者はこれを聞いて熱狂した。なにせどんな卑しい身分でも、貧しくても、おのれの才覚と努力さえあれば、国家の保証のもと学者はおろか総理大臣にも軍司令官にもなれるのである。彼らは真剣に「新しい国家は自分たちが建設するのだ。」という気概に溢れていた。この彼らの気持は今の我々からは到底想像できないかもしれない。

当時にこの制度のもとパリに国費留学していた古市公威という工学博士の逸話でこのようなものが残っている。

彼は留学中にインフルエンザ(だったと思う)を罹患した。しかしそれでも勉強をやめようとしなかったらしい。心配した下宿の女将が、「あんた、いい加減にしなさい。体を壊すよ。」と言ったところ、

「私が休むと日本が一日遅れるのです。」

と答えたという。おそらくこれは古市だけでなく、他の留学生が持っていた同じような意識であろう。

まとめ

明治時代のことを「暗く陰惨な時代」と捉える人達がいるが、彼らのフィルターにかかればどんな時代も憂鬱な時代になってしまう。しかしぼくは思うのだが明治という時代はもっと明るく、少なくとも今よりは若者にとって希望があふれる時代だった。そうでなければ、国家の発展だけでなく、あらゆる分野においてあれほど多彩な人材を排出できた事実を説明することは出来ない。

その事実を中村草田男の俳句がすべてを物語っていると思う。

降る雪や明治は遠くなりにけり

 

(おわり)