双極II型障害と生きる いつも上を見上げて 

うつ→双極II型障害と闘いながら社会人やってます。時々ズッコケますが何とかやってます。この病気を一人でも多くの人に知ってもらいたいです。

もう坊主はコリゴリだ! ー 平安京遷都物語 ー

このシリーズでは日本史、世界史のいろいろなおもしろ話を書いていくことにしている。理由はぼくは歴史フェチだから。

ここのところ京都の話が続いているが、いかんせん1000年の古都。話題は尽きない。これだけで一つのシリーズが出来てしまうかもしれない、と思う今日このごろである。

ということで、京都の話をもう一つ。今日は「平安京遷都物語」である。

平安京遷都の理由

平安京への遷都が決定したのは794年。「いわゆる『泣くよウグイス平安京』」だ。これで年号を覚えた方もいらっしゃると思う。

しかしその前に大規模な都「平城京」に遷都されたばかりである(平城京平安京の間に長岡京があるがこれは割愛させて頂く。)。平城京に都があった期間はわずか84年。こんなに短期間に二度の大規模な遷都を行うのは異例としか言いようがない。

なぜこのような国家財政を圧迫しかねないような「大規模遷都」を行ったのだろうか?

仏教勢力との縁切り

まず最も大きな理由は「寺院勢力との縁を切りたい。」というものであった。

これを読んだ方々の中には異論を唱える方もいらっしゃるかもしれない。なぜなら「京都」と言えば市内のあちこちに点在する寺院仏閣をイメージされるだろうからだ。

ところが当時の仏教は今とやや異なり、民衆向けと言うよりはどちらかというと「護国宗教」、国家の安泰と為政者の長寿を願うものであった。現在の京都市内にある寺院仏閣は平安京遷都の何百年も後に建立されたものがほとんどだ。

しかし洋の東西を問わず、宗教勢力と国家権力が結びつくとろくでもないことが起きる。(そう言えば今年はヨーロッパの宗教改革500周年である。)国の政治に寺院勢力が介入し、中には道鏡(?〜772年)のように、皇位を狙う不届き者までが現れるようになる。

我が物顔に法師が宮中を闊歩し、政治にまで口を出す始末。政治が乱れたのは言うまでもない。

天皇家系の断絶

もう一つ。実は天皇家にはそれまで嫡流が2つ存在した。このふたつは壬申の乱(672年)で争った天智天皇天武天皇の系統で、乱で勝利した天武系の天皇がそれまで皇位を継承してきた。

それに対して天智系の皇族は面白い訳がない。ところがここで変化が起きる。

天武系の嫡流が度重なる政変と粛清により断絶したのだ。ここで皇位を奪い返した天智系天皇の二代目、桓武天皇仏教勢力と天武系勢力の一掃を図る。

そこで仏教勢力、天武系の残党に対しては新都への移住を禁止した。

こうして平安京は誕生した。

その後

その後京都は明治二年まで約1000年の間、日本の首都であった。しかし政治の中心は源頼朝鎌倉幕府を開いてからはだんだん失われていく。その後京都が政治の中心になるのは室町時代応仁の乱までの間と、戦国時代後期に織田信長が上洛した時、更には江戸時代の幕末期の動乱の時期のみとなっていった。

 

(おわり)

 

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