双極性障害2型と生きる いつも上を見上げて 

うつ→双極性障害2型と闘いながら社会人やってます。時々ズッコケますが何とかやってます。この病気を一人でも多くの人に知ってもらいたいです。

特攻隊崩れの祖父 ー 他人に自分の命を強制的に終わらせられることになった若者たち ー

亡き祖父の話

ぼくの祖父はかつて帝国海軍の戦闘機搭乗員、零式艦上戦闘機ゼロ戦)のパイロットだった。

昭和15年に始めて中国戦線で戦ってから海軍機動部隊の航空母艦「瑞鶴」に配置され、そこで真珠湾、インド洋、珊瑚海、そして南方戦線を転戦し、多くの連合軍航空機を撃墜した(らしい)。

しかし戦局の悪化とともに内地(日本本土)に戻り、教官として若いパイロットを育成した後、再び戦闘機搭乗員として復帰。その後鹿児島の鹿屋基地をベースとして、後進の育成と護衛にあたっていた。複雑な思いを持ちながら・・・。

若者に死ぬことを成功させるための訓練と護衛

祖父が行っていた訓練は以下のようなものであった。

「まだ若い(年齢にして15〜16歳ぐらい)のパイロットを確実に敵の空母に突入させる訓練。」

つまり特攻隊の訓練を行っていたのだ。

神風特別攻撃隊とは?

特攻隊(海軍では神風特別攻撃隊と呼ばれていた。)は戦局が悪化してもはや通常の方法ではアメリカ海軍に太刀打ちできないと考えた旧帝国海軍が考えた戦法である。

海軍の航空母艦と艦載機、そして最も大きな理由は練度の高いパイロットの不足によってアメリカ海軍と戦えなくなったしまった海軍は、パイロットが操縦する戦闘機(主力戦闘機はゼロ戦)に250キロ爆弾を搭載し敵空母に体当たりする、という方法を考えた。理由は上空から爆弾を投下するより命中率が上がるからだ。当時はそれほど技量の高いパイロットがいなかったのである。

しかし当然のことながらパイロットは確実に死ぬ。つまり「成功すること=死ぬこと」を意味する。

それを成功させるため、つまり若者を殺すための訓練を祖父は担当していたのだ。

祖父の特攻隊志願

しかしさらに戦局は悪化し、祖父のようないわゆる「古参」にも特攻隊の志願者を募る回覧が回ってくる。

祖父はそれに志願した。理由についてはぼくは何回も祖父に聞いたがとうとう死ぬまで話してくれなかった。

しかしある日、こんなことを話してくれたことを覚えている。

「いくら志願したとは言え、いざ自分の出撃日が決まると落ち着かなくなる。特に若いヤツの中には夜中に抜け出して泣いているやつもいる。人間はな、「何月何日何時をもってお前の命は確実に終わる。」と他人に決められても簡単に受け入れられないものなんだ。自分が生きている理由、死ななければならない理由について真剣に考えるんだ。答えはないとわかっていてもな。」

祖父の出撃日は昭和20年8月末だったらしい。

生き残ってしまった祖父

しかし祖父の出撃前に、戦争は終わった。

だが祖父は喜べなかった。理由としては2つある。

一つ目は自分の生きている意味を失ってしまったこと

二つ目は海軍の戦闘機搭乗員という国を守る最高の役目を担いながら負けてしまったこと、だ。

祖父は終戦後しばらくして復員したが、しばらく自宅には戻らなかった。山に登ってそのまま死んでしまおうと思ったらしい。

しかし幸か不幸か、役場からの知らせを受けて山狩りが行われ、餓死寸前のところで救助された。

祖父の命に対する価値観

その後、何十年もたって、中学生だったぼくに祖父は言った。

「マイク、今は自分の命は自分のものだ。しかし時代が変われば自分の命が自分のものでなくなることもある。自分の死を他人が勝手に決めてしまう。こんなバカげた話はない。『死ななければ成功しない作戦』なんか作戦じゃない。」苦々しげにこう呟いた。

さらに、

「最近自分の命を自ら断つやつが増えているが、それはある意味やつら(おそらく特攻で亡くなった仲間だろう。)に対する侮辱だ。今の平和なこの国でおまえが生きている背景には生きたくても強制的に命を取られた若者が大勢いることを忘れるな。」

なんだかぼくに対して、というより失った戦友、部下に対する思い込められていた。

自死についてのぼくの思い

先日以下の記事を拝見した。

www.sayulog.com

ここで、

しかし、私にこの問いを投げかけてきた人は、
「自分が死んでも誰も悲しまないだろうし、もしも自分の死によって家族が悲しんだり苦しんだりするなら満足だ」
「これ以上生きていたら自分は壊れてしまう。この先のことなんて知らない、今が苦しくてたまらない」 
と、言いました。

そして、「それでも自殺はダメですか?」と。

あなたなら、どう答えますか?

ぼくはこう答える。

「絶対にダメです。」と。

 正直に告白するが、ぼくはOD(過量服薬)、自殺未遂の経験者だ。だから死にたいという思いは理解できる。

しかし敢えて言う。サバイバー(生き残り、死に損ない)として敢えて言う。

「絶対に駄目です。」と。

それは祖父の言った言葉、「最近自分の命を自ら断つやつが増えているが、それはある意味やつら(おそらく特攻で亡くなった仲間だろう。)に対する侮辱だ。今の平和なこの国でおまえが生きている背景には生きたくても強制的に命を取られた若者が大勢いることを忘れるな。」

と、ぼくがクリスチャンであるのも大きな理由となっている。

犯罪の中で最も大きな罪は殺人だ。なぜか?それは何人たりとも他人の命を奪う権利はないからだ。それはぼく自身にも言える。ぼくの命を奪う権利があるのはぼくに命を与えた神だけだ。

引用させていただいたさゆさんのブログに寄せられた読者の、「これ以上生きていたら自分は壊れてしまう。」という思いが綴られている。ここでさゆさんも述べられているが、それと死を選ぶことの間には思ったよりたくさんのセイフティーネットがある。そこに頼って欲しい。

あと、ぼくも双極性障害と戦っていると仕事やその他のストレスで電車に飛び込みたくなることもある。しかし今の状況は長くは続かない。必ず状況は好転する。これはぼくは100%自信をもって言い切れる。

さゆさんもここで述べられているが、自殺が責められるべきではなく、人を自殺に追い込む状況が悪いのである。かつて国家権力が「特攻」という手段を用いて多くの若者を死に追いやったのと同じだ。だからあなたは自ら死を選ぶ必要性はまったくない。

近視眼的にならず、途方に暮れた時は躊躇せず助けを求めてほしい。あなたを守ってくれる人はかならずいる。

 

(おわり)