双極性障害2型と生きる いつも上を見上げて 

うつ→双極性障害2型と闘いながら社会人やってます。時々ズッコケますが何とかやってます。この病気を一人でも多くの人に知ってもらいたいです。

【長文失礼】機能不全家族と向き合う 自己肯定感を上げるためのカミングアウト

今週ぼくは予想外のうつ転でプチ休職を余儀なくされてしまったんだけど、そもそもこの気質は「両親から全く褒めてもらえなかった。」ということから来ている、と書きました。

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両親との対峙

で、思ったのがね、今のぼくには過去に戻って自分の両親に対して、「そんな育て方をするな!」と言ってやりたいんだけど、そんなの出来っこない。

でも両親(すでに母親は他界しているけど)と自分の方から向き合う、ということはできるかもしれないし、そしてそれは絶対に乗り越えなければいけない壁だな、と思う様になったんです。

そこで参考書にした本が以下のもの「敏感すぎるあなたが七日間で自己肯定感を上げる方法」

 ぼくは今、自分の両親の立場にたって、「どうして両親はぼくにあのようなことをしたのだろう?何が理由だったんだろう?」と言う立場から両親との対話を始めています。

この本の筋に流れる考え方は

「他人軸に振り回されることなく、自分軸で考えよう。」

ということ。

これは決して「わがままに生きよう」というわけでなく、自分軸を尊重すれば他人に一喜一憂せずに良好な関係を築ける、といったもの。

ネタバレになるので詳細は書かないけど、内容としては

一日目:今の自分に意識を向ける

二日目:過去を見つめ直す

三日目:過去の家族関係を見つめ直す

四日目:自己肯定感を高める

五日目:自分のペースで人間関係を築く

六日目:敏感であることを強みにする

七日目:自分が本当にしたいことを実現する

と言った感じで、今、ぼくは7日間のカリキュラムのうち五日目の途中まで終えました。

このカリキュラムってぼくのような機能不全家族に生まれた人間にとってかなり苦痛ですね。なぜなら三日目〜五日目って両親との関係を細かいところまで思い出さなきゃいけない。しかもノートやPCに「自分の文章」で書かなければならないんです。

正直言ってきついです。この作業。

でも書いているとなんだか両親もそれぞれの背後にあるつらい経験があるんだな、と思いました。ぼくが機能不全家族(ぼくが子供の頃はそんな言葉すらなかったけど。)に育ったのは決して両親のせいだけじゃなかったんだ、ということがわかってきました。

ここで四日目と五日目をカミングアウトします。

四日目(抜粋)家族との印象的な出来事

  • 母親から「折檻」というので燃えるマッチを手に押し付けられたこと。いまでも手の甲にアザが数か所残っている
  • (それに対する自分が思ったこと)辛かったけど我慢するしかなかった。
  • 辛かったけどよくがんばったね!Well done!
  • テストでいくら良い点数と取ってきても認めてもらえなかったこ
  • (それに対する自分が思ったこと)自分は親を喜ばせたいと思ってた。
  • 辛かったけどよくがんばったね!Well done!
  • 怒られて一晩中外に出されたこと。
  • (それに対する自分が思ったこと)一晩中寒かった。
  • 辛かったけどよくがんばったね!Well done!
  • 小学校低学年のころ、一人っ子なので兄弟がほしい、と思っても「あんたのような子供はいらない!」と言われたこ
  • (それに対する自分が思ったこと)自分は存在自体がいけないんだと思った。早く人生が終わってほしい、と思った。
  • 辛かったけどよくがんばったね!Well done!
  • 大学入学の時父は「おめでとう」と言ってくれず、お祝い会にも参加しなかったこ
  • (それに対する自分が思ったこと)父親の期待に添えない自分はダメなんだと思った。
  • 辛かったけどよくがんばったね!Well done!

 他にもあるんだけど、まだ作成中なので。これくらいで・・・。

重要なのは

  • 過去のつらい経験
  • それに対してどう思ったか
  • あとこれが自己肯定感を上げるために必要なんだけど、「友人として自分に『辛かったけどがんばったね!』」と声をかけることがとても重要らしい。

つまり自分が辛い思いをしたのはあなたのせいじゃない。それでもよくがんばったね、という「自己に対する肯定」なんだろうなあ。

五日目(まだ作成途中だけど。出来上がるにはかなり時間がかかると思う)

この目的は自分に嫌な経験を与えてきた人に対する「溜まってきた感情を吐き出し」、相手に対する「壁を取り除く」ための訓練。ぼくの場合は両親が相手だったので両親に対する感情とそれに対するものだけど、人によっては友人や上司や別の人になるかもしれないね。

父親

  • 仕事柄出張が多く、ちっともかまってくれなかった。また子供への接し方がわからなかった。自分は必要とされていないと思った。進路を決めるときにもことごとく反対された。
    • あとで聞いたことだが彼自身も愛情のない極貧の家庭で過ごし、口減らしで親戚の家に預けられ、大変な思いをしている。その中で彼には家族にお金をもってくるということが最大の愛情表現だったのかもしれない。
    • 彼は金には汚かったがそれも育ってきた環境によるのかもしれない。子供の頃、お昼に持っていく弁当もなかったらしく近所からは村八分同然だったとか。
    • 大学入学のときもお祝いをしてくれなかった。
    • 見栄っ張りのところが気に入らなかった
  • なぜ父はそのようなことをしたのか?
    • 育った環境が大きいと思う。実の母親、継父から愛情を受けることなく育ったことが子供への接し方がわからなくなる原因となったのかもしれない。また極貧の生活で拝金主義の心が育っていったのだと思う。さらに友人に貸した当時の50万円(今で言うと1000万円ぐらいか?)が相手の破産で返してもらえなくなった時、拝金主義はますます強くなったと思う。
    • しかしこれは彼の子供の頃の体験が彼自身に「自分の身は自分で守らなければ。」という植え付けられた思いから出たものだったのかも。皮肉にもそれは別の形でぼくの中で巣食い、それが双極性障害を発症させたのだが・・・。
  • 感謝できること
    • 土日もなく夜勤も多く、一生懸命働いてくれた家族を育ててくれた。
    • 決して子供の前では泣き言を言わなかった。
    • 反面教師として父親は家族と仕事のバランスが大事だと教えてくれたこ
    • 反面教師として子供への接し方を学ぶことが出来たこ
    • 反面教師として感情的に怒ることは子供のためにならないことを教えてくれたこ
    • 子供を褒めて育てる、ということが全く無かった時代なので、子供が頑張ってきたら素直に「頑張ったね」と言ってあげることが大切だといえなかった。でも隣近所にはぼくのことを自慢していたらしい。「トンビが鷹を産んだ!」と言っていたとか。

母親

  • とても厳しかった。ほんの些細なことでも折檻されていた
    • 周囲から「一人っ子は厳しく育てろ」と言われそれを真に受けていたこ
    • 事あるごとに父親の悪口を言っていた。
    • 家事については一生懸命やっていた
  • なぜそのようなことをしたのか?
    • 今のように子供は褒めて育てるという考えがなかった時に周囲の無責任な発言に翻弄されたのだと思う。
    • 高度成長期の時代だったせいか、父親は仕事で忙しかったため家族を省みる時間が取れなかったこと。当時は週休二日制でもないし。
    • 戦争中に母親を結核で幼いころになくし、父親は徴兵されて兄妹ばらばらで親戚の家に預けられた。親の愛情をあまり受けることがなかったと思う
    • 戦争末期(母は当時8歳、妹6歳)に空襲で戦闘機の機銃掃射にあい、死ぬかもしれない恐怖を味わったこと。川に飛び込んで九死に一生を得たらしい。
    • 父親が復員してからも母は結核で何年も入院していた。それで自分は死ぬと思っていたらしい。
  • 感謝できること
    • ぼくが早産で流産しかかって医者から諦めてくださいといわれたとき、泣いて「この子だけは助けてください。」と言ってくれたこ
    • たまにではあったがぼくを遊びに連れて行ってくれたこ
    • 父には内緒でお金を送ってくれたこ
    • 自分の身体が弱かったので、ぼくには身体を強くしてあげたいと生卵を飲ませてくれた。(あまり美味しくなかったけど・・・。)
    • 父親をぼくが買ってくれたとして喜ばせようと、自分の金で買った電気機器を「マイクの金で買ったことにしなさい。」と言ってくれたこ

これを思い出して書いていると、なんかぽろりと涙が出た。そして両親への抑うつされた思いが少し開放されていくのがわかった。

まだまだ完全に心の傷が癒やされて自己肯定感が上がったわけじゃないけと、ほんの少しは浮上してきたようなきがする。

 みなさんの肩の荷が少しでも降りるヒントになればいいなあ。

 

(終わり)