双極性障害2型と生きる いつも上を見上げて 

うつ→双極性障害2型と闘いながら社会人やってます。時々ズッコケますが何とかやってます。この病気を一人でも多くの人に知ってもらいたいです。

【長文失礼】絶望している人がゼロになる政治:与党は謙虚にこの国を正しい方向に導いてほしい

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 躁うつ病(双極性障害)へ
にほんブログ村
↑クリックありがとうございます。一人でも多くの人にこの病気を知ってもらいたいと思うのでぜひご協力をお願いします。

はじめに

ぼくは実は政治フェチ、歴史フェチ、ディベ−ト(議論)フェチです。選挙公報も隅々まで目を通しますし、選挙期間に限らず、街頭演説している人へも質問を投げかけることもよくやります。与野党を問わず。双極性障害2型ですけどね(^^)

それを念頭に置いてこの記事はお読みください。

総選挙の結果

先日行われた総選挙は予想通り自公の圧勝でした。

衆議院の三分の二の議席を獲得し、憲法改正発議ができる様になりました。

ぼくはこれは民主主義の制度上の結果である以上、受け入れざるを得ないと思います(ちなみにぼくは右でも左でもありません。政党でも思想でもなく、政策で自分の投票先を決めています。)。

ただ、一つ気になるのが、というよりいつものことですが、日本のアメリカのような「投票自体が大変」でもないのにどうしてこんなに投票率が低いのでしょう?

今回の選挙も約5割が投票していません(戦後二番目の低さ)。つまりどの政党も5割近くの国民からそっぽを向かれている、ということなんです。

(注:ちなみにアメリカも同じぐらいだった思いますが、アメリカの場合投票するのがとても大変。待ち時間が一時間ぐらいの行列ができます。だから投票率が6割弱なんです。

しかし選挙への関心は子供の頃から高く、それ故よほど親しくない限り政治の話は個人の間でもタブーです。)

国民が愚かなのか?ぼくはそうではないと思います。

ぼくの息子が言うには、「どこに入れても変わんないんだもん。」

半ばあきらめの様に聞こえるとともに、日本人の殆どが同じことを感じていると思うのです。それが証拠に、日本は投票率は低いのに自殺者数は先進国でトップじゃないですか。残念ながら絶望感が最も高い先進国なんです、この国は。

でも死ぬぐらいなら投票に行ってほしい・・・。

民主主義とは何か?

今回に限らず、自民党が圧勝すると鬼の首でもとったかのごとく喜ぶ人たちがいます。

それはそれでかまわないんです。だって支持政党が勝って喜ばない人はいないと思いますから。

ただ少し嫌だな、と思うのが、彼らの一部が、その価値観までも「国民全員はかくあらねばならない。かく思わねばならない。」と強制してくるところなんですね。

世の中にはいろんな人達がいます。顔や形が違うように思想、信条、言論等は個人の基本的人権であり、民主主義の根本をなすものです。

民主主義の根本に流れる考えは何か?を調べてみると、アメリカ独立宣言ですね。

われわれは、以下の事実を自明のことと考えている。つまりすべての人は生まれながらにして平等であり、すべての人は神より侵されざるべき権利を与えられている、その権利には、生命、自由、そして幸福の追求が含まれている。その権利を保障するものとして、政府が国民のあいだに打ち立てられ、統治されるものの同意がその正当な力の根源となる。そしていかなる政府といえどもその目的に反するときには、その政府を変更したり、廃したりして、新しい政府を打ちたてる国民としての権利をもつ。

(アメリカ独立宣言)

また、先日取り上げたエイブラハム・リンカーンの演説でしょう。

これらの勇敢な父祖たちの死を無駄にしないために、神のもとで新しい自由を生み出し、そして、人民の人民による人民のための政治・統治がこの地上から失われてしまわないよう高らかに決意しなければならない。

そしてこれは我が国の憲法にも反映されています。

日本国憲法 第十九条

思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

第二十一条

①集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

②検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

今、巷で憲法改正が話題になっています。今のところぼくはこれに対してイエスともノーとも言えません。なぜなら具体的にどこをどのように改正するのかがまだ提示されていないからです。

民主主義に対する挑戦

先程、この国の自殺率の高さを挙げましたが、これを言うと、「そんなにこの国が嫌なら出ていけばいい。」と彼らは言います。しかしそれは意見の多様性を認める民主主義への挑戦です。

わかりやすく言うと、その名は

ファシズム全体主義)」

です。

ぼくはこの国が再び全体主義国家に戻ってほしくありません。(もっとも日本の場合ドイツ、イタリアとは違う形態のファシズムで、独裁者を特定することは出来ませんが・・・。)

まとめ

最後に民主主義とファシズムの違いを見事にまとめた、チャーリー・チャップリンの映画「独裁者」のスピーチを引用します。このスピーチが人生に絶望している人たちに届けばうれしいです。

申し訳ないが、私は支配者にはなりたくない。それは私には関わりのないことだ。誰も支配も征服もしたくない。できれることなら皆を助けたい、ユダヤ人も、ユダヤ人以外も、黒人も、白人も。


私たちは皆、助け合うことができるのだ。人間とはそういうものなんだ。私たちは皆、他人の不幸ではなく、お互いの幸福と寄り添って生きたいのだ。私たちは憎み合ったり、見下し合ったりなどしたくないのだ。


この世界には、全人類が暮らせるだけの場所があり、大地は豊かで、皆に恵みを与えてくれる。人生は自由で美しい。しかし、私たちは生き方を見失ってしまった。欲が人の魂を毒し、憎しみと共に世界を閉鎖し、不幸、惨劇へと私たちを行進させた。

 

私たちは速い生活を開発したが、それによって自分自身を孤立させた。ゆとりを与えてくれる機械により、貧困を作り上げた。
知識は私たちを皮肉にし、知恵は私たちを冷たく、薄情にした。私たちは考え過ぎで、感じなさ過ぎる。

 

機械よりも、私たちには人類愛が必要なのだ。賢さよりも、優しさや思いやりが必要なのだ。そういう感情なしには、世の中は暴力で満ち、全てが失われてしまう。

 

飛行機やラジオが私たちの距離を縮めてくれた。そんな発明の本質は人間の良心に呼びかけ、世界がひとつになることを呼びかける。
今も、私の声は世界中の何百万人もの人々のもとに、絶望した男性達、女性達、子供達、罪のない人達を拷問し、投獄する組織の犠牲者のもとに届いている。

 

彼らに言いたい。「絶望してはいけない」。

 

私たちに覆いかぶさっている不幸は、単に過ぎ去る欲であり、人間の進歩を恐れる者の嫌悪なのだ。憎しみは消え去り、独裁者たちもいつか死に絶え、人々から奪いとられた権力は、人々のもとに返されるだろう。決して人間が永遠には生きることがないように、自由も滅びることもない。

 

兵士たちよ。獣たちに身を託してはいけない。君たちを見下し、奴隷にし、人生を操る者たちは、君たちが何をし、何を考え、何を感じるかを指図し、そして、君たちを仕込み、食べ物を制限する者たちは、君たちを家畜として、単なるコマとして扱うのだ。

 

そんな自然に反する者たち、機械のマインド、機械の心を持った機械人間たちに、身を託してはいけない。君たちは機械じゃない。君たちは家畜じゃない。君たちは人間だ。君たちは心に人類愛を持った人間だ。憎んではいけない。愛されない者だけが憎むのだ。愛されず、自然に反する者だけが憎むのだ。

 

兵士よ。奴隷を作るために闘うな。自由のために闘え。『ルカによる福音書』の17章に、「神の国は人間の中にある」と書かれている。一人の人間ではなく、一部の人間でもなく、全ての人間の中なのだ。君たちの中になんだ。君たち、人々は、機械を作り上げる力、幸福を作り上げる力があるんだ。君たち、人々は人生を自由に、美しいものに、この人生を素晴らしい冒険にする力を持っているんだ。

 

だから、民主国家の名のもとに、その力を使おうではないか。皆でひとつになろう。新しい世界のために、皆が雇用の機会を与えられる、君たちが未来を与えられる、老後に安定を与えてくれる、常識のある世界のために闘おう。

 

彼らも同じ約束をしながら権力を伸ばしてきた。しかし奴らを嘘をつく。約束を果たさない。これからも果たしはしないだろう。独裁者たちは自分たちを自由し、人々を奴隷にする。

 

今こそ、約束を実現させるために闘おう。世界を自由にするために、国境のバリアを失くすために、憎しみと耐え切れない苦しみと一緒に貪欲を失くすために闘おう。

 

理性のある世界のために、科学と進歩が全人類の幸福へと導いてくれる世界のために闘おう。兵士たちよ。民主国家の名のもとに、皆でひとつになろう。

 追伸

チャップリンの言葉でこういうのがあります。

「わたしはこの国を愛している。しかし『この国を愛せよ』と言われたらこの国を出て行くだろう。」

 

(おわり)