双極性障害2型と生きる いつも上を見上げて 

うつ→双極性障害2型と闘いながら社会人やってます。時々ズッコケますが何とかやってます。この病気を一人でも多くの人に知ってもらいたいです。

不運と不幸、懸念と課題 − 不安についての考察 −

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ぼくは毎週定例で2つの国際電話会議のファシリテーター(まあ議長と書記を合わせたようなもんですな)をやってました。今は休職中でやってないけど、復帰したらまたやると思います。

でもね、根が小心者、というか双極性障害ホルダーの例に漏れず、二日前ぐらいになると不安になってくるんですよ。(これがまた自分でも情けないな〜と思うぐらい)

で、不安について最近読んだ本で少し「なるほどな〜」と思ったことがあったんで、ご紹介したいと思います。

不安とは

不安って人間だけでなく動物であっても持っているものらしい。不安ってなんで起きるかっていうと、

不安とは先行きが見えないために生じる。

なんだとか。

確かに結果が100%わかっていればあまり不安にはならないよね。スパッと諦めることができるし。

更に不安って、以下のように分解できるんだとか。

  • 不運
  • 不幸
  • 懸念
  • 課題

ここで上の4つを、「不運と不幸」、「懸念と課題」にグループ化してみよう。なぜかって言うと、このそれぞれのグループはごっちゃにされて勘違いされやすいから。

不運と不幸

不運と不幸って意外とごっちゃにされやすいんだよね。内輪の話で申し訳ないんだけど、現に昨日、ぼくがジムから帰ってきた時に家内との間にこんなことがありました。

ぼく:「ただいま。コーラほしいなあ。」

家内:「あるけどごめん、冷えてない。」

ぼく:「あ、そう・・・。」

ぼくとしてはその時、まあこれから冷やしておいてあとで飲めばいいや、と思ったんだけど、家内はそれを「自分の不手際でぼくを不機嫌にさせてしまった。」と思ったらしい。

ぼくはそれを聞いて、そんなことをぼくは不機嫌じゃない、と言って事は丸く収まったのだが、ここに一つの出来事、「コーラが冷えていない。」ということに対して認識の違いが現れているなあ、と思った。

ぼくにとってはコーラが冷えていないことは残念であったが単なる「不運」

家内にとってはコーラが冷えていないことは人を不機嫌にさせる「不幸」

違いがわかるかな?

不運とは誰にも責任はない。単なるアクシデントでそれが終わればおしまい。幸運だって同じこと。似たような感じで起きるかもしれない。しかし不幸はその人の人生に悪影響を与える。

そういった意味で考えると、意外と自分の周りで起きている嫌な出来事ってほとんどが、「不運」なことが多いと思いませんか?嫌な上司に怒られても、仕事で失敗しても、会議に遅刻しても、それは単なる「不運」。あなたの人生や人格に大きな影響を与えるものじゃない。

仮にそれで一時的に上司からの評判が下がったとしても、それは永遠には続かない。上司が変わればリセットされる。退職すればどんなに自分にガミガミ言っていた上司も上下でなくふつーの一対一の人間関係に変わる。ただの「不運」なんです。「不幸」じゃない。

「不運」と「不幸」との線引をどこでやっているかで人間って生き方が変わると思わされたね。

前の記事でエイブラハム・リンカーンのことを挙げたけど、もし彼が前半のまるで神様からフルボッコにされたような人生で、

「自分は不幸だ。」と思ってたら、きっと大統領なんかにはならなかっただろうと思う。そしたら歴史は変わっていたかもしれない。

www.flahertylog.com

とはいうものの、ぼくもこの線引が下手な人間であることは否定できないけど・・・(^o^)

懸念と課題

同じことが「懸念と課題」にも言えると思う。

そもそも懸念と課題ってどうちがうんだろう?

ぼくが思うのは

「懸念」って起きるかどうかわからないこと。

「課題」って実際に起きていること。

会議のファシリテーターをやっていて思うのが、意外とこれを混同している人が多いんです。

会議のメンバーから、「〜が起きた時はどうするの?」ってよく言われるけど、そういう「懸念」に対しての対応は以下の3つ。

「無視する」

「誰かになすりつける(^^)」

「減らす」

例として、よく会議で自分の立場を誇示したいがためにどうでもいいことを言ってくる偉い、もとい立場が上の人がいるんだけど、そんな人の意見は無視する。

つまり、「それは今の段階では起きる可能性は低いのでそのときに考えましょう。」、てな感じ。

また、思いつきの意見に対しては、「その掘り下げ(検討)をその人にお願いする(なすりつける。)」

あと、「起きる可能性が高いこと」も懸念。よく「近い将来に大規模な地震が太平洋側で発生する。」という「懸念」があるけど、これは無視するわけにもいかないし誰かになすりつけるわけにもいかない。出来るのは「被害を減らす対策をする。」ことだよね。それ以上のことはできないしする必要もない。

では課題に対しては?

課題とは先にも書いたけど実際に起きていること。これは対策を取らないと大変なことになる。

つまり、懸念は後回しにして、課題にのみ意識を集中する。課題って意外と具体的に何が起きているかっていうのがわかっているから、対策は取りやすいし、みんなの協力も得やすい。

この「不運と不幸」、「懸念と課題」を分けると少しだけ生きるのが楽になるんじゃないかなあ。

ちなみに、ぼくの懸念は

「また休職しやがって!」とみんなから白い目で見られているんじゃないか?ということ。

課題は

「職場復帰して休職しないレベルまで双極性障害寛解させること。」

これは今、いろいろな対策を考えてる。効果が出るようなら記事にしようと思っています。 

懸念は職場復帰できてから、つまり課題解決できてから、だと思う。だってそれしかどうしようもないもの。

精神的な負担を減らすって本当に大変だけど、自分も含めみんながんばって生きている。そのために少しでもスクラム組んでいけるといいな、と思います。

 

 

(おわり)

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