双極性障害2型と生きる いつも上を見上げて 

うつ→双極性障害2型と闘いながら社会人やってます。時々ズッコケますが何とかやってます。この病気を一人でも多くの人に知ってもらいたいです。

神がいるならなぜこんな患難や悲しみがあるのか? 宗教改革記念礼拝に思う

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 躁うつ病(双極性障害)へ
にほんブログ村
↑クリックありがとうございます。一人でも多くの人にこの病気を知ってもらいたいと思うのでぜひご協力をお願いします。

はじめに

今日は1517年にマルティン・ルターがドイツのヴィッテンベルク城教会の門にいわゆる「95か条の提題(公開討議の申し込み)をおこなった「宗教改革」から500年記念礼拝でした。

正確に言うと、ルターがこれを行ったのは1517年10月31日ですが。

ぼくはプロテスタントのクリスチャンです。ご存知だと思いますが、キリスト教の神様は日本の神社の「多神教八百万の神々)」とはちょっと違って、「一神教」です。

そして神はどのようなお方かといいますと

神=全知全能+完全なる正義+完全なる愛

という定義です。(他に三位一体論というのがありますがややこしくなってくるのでここは割愛します。)

「愛の神」がいるならなぜ?

もう随分前になりますが、アメリカで以下のようなアンケート調査が行われました。

あなたは神に一つだけ質問することが出来ます。そして神はそれに対して必ず答えてくれるとします。あなたはどんな質問をしますか?

すると調査に答えた人の7割が、

神がいるならなぜ世界や自分の人生に患難や苦しみ、悲しみがあるのか?

と答えたそうです。

ぼくもそう思います。神がぼくを愛してくれているのに、なぜぼくは双極性障害2型という十字架と背負っていかなければならないのか?

ぼくだけではない。家族まで巻き込んでしんどい状況になっているのはどうしてなのか?

神は全能なのだからこんな障がいを元に戻すのは朝飯前ではないか?

そう叫びたくなることがあります。

だって水の上を歩いたり、盲人の目を見えるようにしたり、死人をよみがえらせたり、そして何より自分自身が十字架で死んだ後、三日目によみがえってるんだから、ぼくの障がいを治すなんて簡単ですよね?

では神はいないのか?無神論について

では神はいないのでしょうか?

ここで考えてみたいと思います。もし神がいなかったとしたら、ぼくたちの人生、世界はどのようになっているでしょうか?

無神論は当たり前ですが神の存在を否定します。その究極が共産主義コミュニズム)です。

彼らは唯物論、つまり人間を「ただの物質、あるいは何かを生産するための道具である、心や感情には何の価値もない。」と考えます。

つまり自殺未遂をしたり、湧いてくる希死念慮と戦っているのもそれはただ単に脳細胞が出すわずかな「誤作動している電気信号」に反応しているだけで、心や感情はそれによるものだ、という考え方です。それによって辛い思いをしても心や感情には価値を置きませんから、人間の命はまったく意味が無いことになってしまう。だって所詮物質。「道端に転がっている石ころと同じ」なんですから。

もしそうだとすれば、「人間の命は地球より重い」というフレーズはナンセンスになってしまいます。

それ故、スターリン毛沢東ポル・ポトなどの共産主義者は信じられないほど多くの人をいとも簡単に虐殺した、いや、出来たのです。

彼らにとっては「人間はモノ」だったのですから。

息子の幼いころの経験

ぼくには大学生の息子がいます。彼がまだ4歳だったとき、ぼくに言いました。

「ダディ、(補助輪なしの)自転車の乗り方教えて!」

ぼくと息子は近くの公園に行きました。

しかし息子は何回やっても転んでしまいます。ときには派手に転んで肘を擦りむいて血が出てきました。

ぼくは心のなかで、「もう止めたほうがいいかな?」と思いました。さすがに血が出てましたからね。でも泣きながらも息子の目は語っていました。

「絶対乗れるようになりたい!」

そこで敢えて続けさせることにしたのです。

それから何回ころんだでしょうか?ついに息子は自転車に乗れるようになりました。まだぎこちなかったけど、息子はしっかりと自転車に乗っていたのです。

「ダディ、ぼく(自転車に)乗れるようになったよ!」

今でもあの時の彼の顔を忘れることが出来ません。身体のあちこちに擦り傷を作りながらも彼の顔は輝いていました。

神様が患難や悪の存在を許す場合

ぼくは双極性障害に苦しんでいる現在でもこの経験は励ましになっています。

息子にとって自転車の練習で出来た傷は痛かったと思いますが、しかしこの患難がなければ彼はあの時自転車に乗れるようにはならなかったと思います。

つまり「苦しみを乗り越えて達成した」のです。これは彼にとって今でも大きな財産となっています。

よく言うじゃないですか。「苦しみを乗り越えて得たものは何もしないで得たものより大きな価値がある。」って。

これと同じです。確かに神様は決して悪や患難の存在をお許しにはなりません。でないとそんなの神じゃなくなってしまう。

しかし例外があります。それは

「悪や患難を通して善や愛、喜び等の良きものが得られる場合」

です。

現に人類の歴史上、最悪と言われた出来事も最高のハッピーエンドに変わっています。

それは人となって地上に降りてきた神、イエス・キリストの十字架です。

イエス・キリストの十字架はその場にいた弟子たちにとっては最悪の出来事でした。しかしそれは私達人類のすべての罪を背負い、代わりに罰を受けてくださったことにより天国への道が開かれる、という人類史上最高のハッピーエンドになったんです。

あと、個人的な体験としては、ぼくはこの障がいを通して障がいに苦しむ人の気持ちがわかるようになりました。

また元気な頃は人身事故で電車が止まると「迷惑かけやがって!どうせ死ぬなら青木ヶ原樹海にでも行ってクビでもつればいいのに。」と思っていたのが、亡くなった方の気持ちがなんとなくわかるようになりました。

 また先に書いたように、ぼくのこの障がいのために家内をはじめとする家族は大変な思いをしています。ぼくはそれを苦に二度の自殺未遂をしました。しかし「生きよう」という思いを与えてくれるのも家族なんです。

人は皆、「愛の神にいてほしい」と思っているんじゃないか?

双極性障害2型にかぎらず、いろいろな障がい、つらい状況にある人は必ず「神様、助けて。」と思ったことがあると思います。たとえそれがキリスト教の神様ではなくても。

たとえ健康な人でも生きていて「神様、助けてください。」と思わなかった人はいないと思います。

ぼくはそれはすべての人が「完全なる愛の神様にいてほしい。」、「神は必ず助けてくれる存在だ。」と心の何処かで信じているせいだと思うんですね。

まとめ

正直に言います。ぼくも「愛と正義の神がいるなら、なぜこんなひどいことがあるのか」という質問に対してはすべての人を納得させるように回答できません。自分自身でさえしんどい時は疑いたくなるぐらいですから。

しかしこれだけは言えます。「もし愛と正義の神がいないのなら、なぜこの世にはこんなに人を感動させる素晴らしいことがあるのだろう?」と。

 

(おわり)

--------------------------------------------------------------------

よろしかったらトラックバックおねがいしますm(_ _)m

にほんブログ村テーマ 双極性障害(そううつ病)と闘おう。へ

双極性障害(そううつ病)と闘おう。

にほんブログ村テーマ 双極性障害と共にはたらくみなさんへへ
双極性障害と共にはたらくみなさんへ

にほんブログ村テーマ 双極性障害と躁うつの大きな波:トラコミュへ

双極性障害と躁うつの大きな波:トラコミュ