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高校入学を喜ばなかった父親
ぼくはその後、めでたく高校に入学した。
それも県内で最も偏差値の高い高校、しかも特進クラス(上位から45名を選んで特別に編成したクラス)だった。
普通の親ならとても喜ぶだろう。県立高校とはいえ、県内トップの高校の更にトップクラスなのだから。
しかしぼくの父はそれを喜んでくれなかった。父は中学の時から、「工業高校へいけ」といつも言い続けていた。
理由は他でもない。
なんと父はぼくが大学へ行くと金がかかるから、と言うのだ。これがもし我が家が貧しい家庭だったらそれも致し方ないのだが、身分不相応な豪邸を建て、かつて自分が貧乏だったときにバカにした人間に見せつけるだけの金はある。ぼくが大学へ行くのに必要な金がないわけがない。
ぼくと父の仲はこの頃最悪になっていた。
ちなみにこの頃はまだぼくは障がいを発症していなかったが、多感な思春期の子の例にもれず、「人生ってなんで生きなきゃならないんだろ?」と思うことが増えていた。
楽器との出会い
高校に入学してしばらくした後、同じ中学だった友人が、「マイク、吹部(ブラスバンド)部を見に行きたいんだけど付き合ってくんない?」と声をかけてきた。
ぼくは硬式テニス部に入ろうと思っていたが、まあ音楽も嫌いではない(というかその頃には洋楽関係のレコードを聴きまくっていたが・・・。)ので、付き合うことにした。
吹部の部室を訪問すると、そこで目に飛び込んで来たのはドラムセットをまるで自分の身体の一部のように演奏する先輩の姿だった。
「スゲっ!」
ぼくは思わず声をあげた。
友人も同じことを思ったらしい。
しばらくして部長が「希望するパートは?」と聞いてきた時、彼はためらうことなくパーカッション(打楽器パート;ドラムもその中に入る。)を希望した。
その後、部長はぼくにも同じ質問をした。
ぼくはテニスをやるつもりだったので付き添いで来ただけだ、と話すと、周りの女の先輩たちから、「まあまあ、せっかく来たんだし〜。」と丸め込まれてしまい、
「じゃあトランペット」
と答えた。
本当は友人と同じくドラムをやってみたかったのだが、友人に遠慮したのと、自分にあんな芸当が出来るわけがない、と思ったからだ。
注)別にトランペットを甘く見ていたわけではない。かっこいいと思った他の楽器がトランペットだったからだ。
「ふ〜ん・・・。」
部長はぼくたちの顔をしげしげと眺めて言った。
「T(友人の名前)はトランペット、マイクはパーカッション!」と言った。
これでは逆ではないか。
友人は抗議したが、聞き届けてもらえなかった。なんでも理由はぼくの歯並びが悪く吹く楽器には向かない、と判断したらしい。
ぼくは言った。「じゃあ吹部には入りません。こいつ(ぼくの友人)をパーカッションにしてください。」
そしたら部長は
「じゃあペット(トランペットの略称)吹いてみて。」
と言った。二人でやってみるとぼくは全然音が出なかった。ところが友人のTは一発で音が出たのだ。
これに気を良くしたTは、「じゃあ、トランペットやります!」と言った。なんだ、お前のドラムへの熱情はその程度だったのか、とぼくは思った。
なぜかぼくは吹部に入ることになってしまったが、まあいいか、とぼくは思った。
しかしこれが人生を変えることとなる。
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