双極性障害2型と生きる いつも上を見上げて 

うつ→双極性障害2型と闘いながら社会人やってます。時々ズッコケますが何とかやってます。この病気を一人でも多くの人に知ってもらいたいです。

【カミングアウト】大学受験

受験前の苦悩

さて、前回の大胆、もといこっ恥ずかしい告白劇から2年が過ぎようとしていた。

ぼくたちは時々喧嘩もしたけれどもそれなりに順調な関係だった。

ぼくはセイラさん、いやセイラという女性をますます好きになり、セイラはぼくのことをますます好きなってくれていた(と思う・・・?)

ある日、一緒に勉強しようと訪ねた彼女の家の居間、で二人で語り合っていた。

セイラはピアノでショパンノクターンを弾いていたことを覚えている。

ぼくは思った。「相変わらずセイラはなんでも出来るんだな〜。」

絵も描ければピアノも弾ける。さらに英語も得意、という人だった。今回ぼくが遊びがてらに、もとい、受験前の英語の勉強を教えてもらいに、そしてぼくは数学を教えに来たのもそれがあったからだ。

ただ、彼女は運動はあまり得意ではなかった。しかし彼女はそれを全く気にする様子はなかったけど。

セイラは言った。

「どうして日本の大学って入学するのが大変なんだろうね?」

確かに日本のように受験が厳しいのは韓国ぐらいで、例えばアメリカだとそうでもなくてむしろ大学で目一杯勉強させられる。そして卒業するのが大変なのだ。

受験当日

ぼくたちは同じ大学を目指していた。関東にある某国立大学だ。

セイラは看護師になるつもりだったので看護学部を目指していた。ぼくはエンジニアになりたかったので工学部を目指していた。看護学部のある国立大学は当時ここだけだったと思う。

上京した後、宿泊のホテルで最後の追い込みをやっていた。セイラはぼくに英語を教え、ぼくはセイラに数学を教えていた。

そして受験当日。

大学から戻ったぼくたちは対称的な顔をしていた。

セイラはホッとした顔をして、ぼくは半分泣きそうな顔をしていた。

実家に戻る飛行機の中で、ぼくはセイラに約束した。

「合格の電報受け取ったら家に行くよ。」

当時はメールなんてなかったから電話か電報しか連絡手段がなかったのだ。

結果

それから二週間ほど、ぼくはまんじりとも出来ない日々を過ごした。

その間に、恒例の行事のように父のぼくに対する「カネがかかる関東の大学」を受けに行ったことへの嫌がらせはネチネチと続いていた。あるときは「落ちて自宅から働けばいい。そのほうがよほど金になる。」と言われたこともあった。

一日も早くこの家から出たかった。きっと後に双極性障害を発症する種がここでも巻かれていたのかもしれない。

そして電報が来る日、

届いた電報は

「房総の波春を告げ君を待つ」

だった。

ぼくはそれをもってセイラの家にすっ飛んでった。

着くやいなや、彼女も同じ電報を持って、泣きながらぼくの胸に飛び込んできた。

合格したんだ、ふたりとも。

ぼくはこれからの新生活にドキドキする自分を感じていた。

 

(つづく)